門信徒の皆様におかれましては、ますますお元気でお暮らしのこととお喜び申し上げます。 当寺の護持のために多方面にわたりましてご協力、ご理解を賜りまして心より御礼を申し上げます。 努力精進してまいりたいと思いますので、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。 合掌 |
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養徳寺 住職 出雲裕樹 |
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養徳寺大要 福井県越前市 |
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山号 | |
宗派 |
浄土真宗本願寺派 浄土真宗とは往生浄土の真実の教えという意味で、あらゆる者を必ず救うという阿弥陀如来の本願のはたらきによって、その浄土に往生してさとりを開く教えです |
寺紋 | 五七桐 |
本尊 | |
創建年 |
広瀬村の真言宗の総霊場太子堂養徳院が1508年に蓮如上人の直弟善鎮の四男 善頎を住職として迎え、養徳寺に改称。 後の1602年(江戸初期)越前市安養寺村から現在地に移転。 1711年の府中城下絵図には東西32間、南北31間の寺域に6間×7間の堂宇が描かれている |
境内 | 714坪 正面に本堂 左手に鐘楼 右手にも入口あり石柱が建 本堂は7間×7間 入母屋作り正面に柱4本 |
当寺の有名な方の墓碑 | ||
千代鶴国光 | 1247年-1329年 南北朝時代の人で越前打ち刃物業の祖 養徳寺に昔から墓があったとの伝承により明治期に 三田村氏(大鍛冶屋)が建立 |
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三田村甚三郎 | 1867年-1934年越前市あおば町生まれ 越前打刃物問屋業実業家 福井県会議員 衆議院議員 福井新聞社社長 武生町長を務める 武生町立図書館設置し蔵書二千冊寄贈 町立女子実業学校創設公会堂建設推進 「近代武生の父」と呼ばれました 書画、謡曲、俳諧に通じていました (俳号 三田村黄雲) |
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山内庄右衛門 | 1845年-1929年 越前打刃物製造業者 明治大正の名工 富岡鉄斎(文人)と親交 |
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渡辺静庵 | 1812年-1880年 京都で蘭医学を学び市内京町で開業 武生で初めて種痘接種 洪基の父 |
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渡辺家分霊塔 | 静庵の墓の隣に渡辺洪基が建立 渡辺洪基(1847年-1901年)は武生市京町生まれ東京府知事、 帝国大学(現東京大学)初代総長に就任。後、オーストリア 特命全権公使、衆議院議員、貴族院議員等の要職を歴任し、 伊藤博文の立憲政友会の創立に参加工学院大学の前身の 工手学校を設立 東京の長谷寺に墓、この分霊塔に分納 |