信州紀行その1

 

 夏、信州をめぐる旅に出ました。

 馬籠・妻籠をぬけ、木曽路を松本へ。美ヶ原から白樺湖、安曇野をまわる旅です。

 

      

  車は名神高速の小牧JCTから中央道に入った後、中津川インターで高速道路と別れ、まずは旧中山道の落合宿へ(ちなみに現代の中央道は、この後、旧中山道からははずれ、恵那山トンネルをこえて飯田・伊那を通るコースをたどります)。江戸から数えると44番目の宿場にあたる落合宿は、信濃国から美濃国に入った最初の宿場町。貝原益軒は「岐蘇路記」(1709年)の中で「落合の民家九十軒ばかり、これより西に猶、坂所々あれども、既に深山の中を出て、険難なくして心やすくなる。木曽路を出てここに出でれば、先ず我家に帰り着きたる心地する」と記しています。木曽路の厳しさがうかがえる一節です。

 

  落合宿を離れ、旧中山道を北へ向かった車は、木曽路の最南端の宿場街である馬籠宿へ。  

 

       

 「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」とは、島崎藤村の『夜明け前』の冒頭部分ですが、今でも木曽路を訪れた人は、このことばを現実として実感します。馬籠はまさに、そんな山の中にあって、妻籠と並び当時の宿場町の雰囲気を今に伝えている場所。明治28年の大火で建物の多くは焼失してしまったものの、地元の人々の努力で石畳の坂道が続く町並が甦ったということです。

 

 島崎藤村(春樹)は、明治5年(1872年)、代々この馬籠で本陣・問屋・庄屋を兼ねた名家の17代目である島崎正樹の四男として生まれました。現在、その本陣跡は藤村記念館となり、6000点にものぼる資料が展示されています。また、この記念館の庭には藤村の作品に登場する草や木や花が植えられており、これもまた見逃すことのできないものとなっています。

   

     

 藤村記念館に隣接する土産物屋の大黒屋は、当時の造り酒屋。藤村が「初恋」で、「まだあげ初めし前髪の……」とうたった少女のモデルと言われ、藤村の初恋の人であった「おゆう」さんは、この大黒屋の四女でした。また、この家の10代目である大脇信興は、藤村が『夜明け前』を執筆するにあたって重要な資料とした「大黒屋日記」の執筆者であり、小説に登場する「金兵衛」のモデルでもあります。

 

 現在、資料館となっている清水屋もまた、藤村とは縁の深い家です。清水屋(原家)は古くから島崎家と親しかったようですが、特に原一平は藤村と親交が深く、大正11年、藤村は明治学院中学部に通っていた長男の楠雄を馬籠に帰農させた際、この原家に預けています。また、『嵐』に登場する「森さん」は、原一平がモデルとなっています。

   

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