信州紀行その2

 

 江戸と京都を結ぶ街道としてはまず東海道(53宿)が頭に浮かびますが、

 当時の人々は川止めのある東海道を嫌って、この中山道をたどる場合も多かったとか。

 中山道は江戸・日本橋から67宿を経て近江の草津で東海道に合流します。

 

      

 妻籠は「町並保存の先駆」といわれる地域です。明治以降衰退した宿場町としての妻籠を、歴史を物語る地域として保存しようと考えたのは地元の人々でした。妻籠には江戸時代の景観が、今でも色濃く残されています。 

 

 

 妻籠の南木曽博物館は、昭和42年に公開された脇本陣の奥谷(おくや)、平成7年に復元された本陣(右写真)、歴史資料館の3館から成っています。脇本陣の奥谷(林家、奥谷は屋号)は、木曽五木の禁制が解かれた直後の明治10年に総檜造りで建て替えられたという貴重な建物。囲炉裏の火を囲んで地元の方がじかに語ってくださる当時の生活や文化についてのお話もここならではのものです。なお、この奥谷は藤村の初恋の人である「おゆう」さんが嫁いだ家でもあります。その奥谷の向かいにあるのが本陣。代々島崎家(藤村の生家である馬籠の島崎家と同族。藤村の母「ぬい」の実家でもある)が務めていたものの、明治20年代に最後の当主広助(藤村の実兄、養子として妻籠島崎家を継いだ)が東京へ出た際、取り壊されたものを復元したものです。

   

 

 

   

 宿場の古い町並にすかっり溶け込んでいるのが、妻籠郵便局。もちろん現役です。中に入ると、歴代ポストの模型や明治の郵便配達員の制服などが展示してありました。

 さて、あまりのんびりしているとここで日が暮れてしまいます。車は妻籠を後にして国道19号へ。一路松本へ向かいます。

 

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