研究発表「小説/評論―開かれた授業をめざす―」

 

  発表日 :2001年10月25日(木)

  場  所:福井県教育研究所

  発表者:福井県立鯖江高等学校教諭 三川智央

 

0.何に見えますか?(省略)

 

T.はじめに―問題の出発点―

○ある高校生の読書感想文「『塩狩峠』を読んで」から

物語を読み終えた時、私は言い様のない思いを感じました。そして、凄い物語だなと思いました。しかし、ただ感動したのではなく一種の残酷さを見たように思うのです。宗教への唯一絶対的な信頼は、時として残酷になり、人をも殺すものだということを。/私はキリスト教信者ではないので、主人公信夫が最初に抱いていたキリスト教に対する偏見を多少理解できます。その信夫が周囲の人々にゆっくりと感化され、信者の幾人かとの出会いにおいて、次第にこの宗教に目覚めていった過程をはっきり認識してさえ、素直にすべてに感動することはできません。現代の高校生は感動することがないとよく言われますが、そういう理由で感動できないのではないのです。私はこの物語の主題はひどく残酷なものだと思うのです。(中略)これは残酷な物語です。彼が故意に車両の前に身を投げだしたのなら、それはつまり、彼が信じたキリスト教が、彼を殺したことになると思うのです。本当ならこれは、作者が言いたいことでも、読者が読み取るべきことでもないのでしょう。ただ私は、今感じているこの物語への思いが、高校生という世代に私が感じた真実な怒りであったとして、書き留めておきたいのです。

 

確かに彼女がこの小説から〈読み取ったこと〉は「作者が言いたいことでも、読者が読み取るべきことでもない」のかもしれない。しかし、この〈読み〉は単なる誤読によって生じたものではない。高校生である彼女自身が、自己の感性で作品と接した結果、導き出された彼女なりの〈読み〉である。

その後、現代文の授業の中でいくつかの小説を扱いながら、なるべく生徒の自主的な〈読み〉を実践させるように心掛けた。ところがそれも実際には特定の方向に彼らの意識を束ねているに過ぎなかった。

 

○授業の一例―森鴎外『高瀬舟』―

生徒の〈読み〉を深めるために、資料として『高瀬舟縁起』と『翁草』の一部を配布。そこから作者の〈意図〉や小説の〈主題〉を明らかにしていく方法をとり、最後に感想を書かせた。

確かにこの小説における作者の〈意図〉や〈主題〉の理解度は高く、それに対する自分の意見も的確に表現されていた。

 

しかし、40名もの生徒が同じ〈読み〉をしていることに対する、言いかえれば、それだけの高校生の意識を一つの方向に差し向けてしまった授業そのものに対する疑問が……。「喜助は一般人と考え方が違っている。普通、弟を殺した後で二百文をもらったからといって、心を弾ませるだろうか」「歴史を振り返ってみると、人間やその他の生物も、より良い生活をと思うことで進化してきたのだと思う。欲求=向上心でもあるのだ」。この二つは、その時の感想の中で辛うじて独自の感性で意見を述べていたものだが、授業の中では、作者の〈意図〉にそぐわないこのような意見は、小説の〈読み〉としては不適格の烙印を押されて聞き流されてしまうことが多い。

 

その時の教科書「精選国語U二訂版」(明治書院)には、『高瀬舟』の研究課題として、「この小説で作者が取り上げている問題について、話し合い、作者の人間に対する目についても考えてみよう」「できれば作者の『高瀬舟縁起』を読んでみよう」という指示がなされている。

 

U.現代文の授業における課題

《現  状》

・小説を〈読む〉ということが、最終的にはあらかじめ用意された〈特定の読み〉=〈正解〉に 生徒の意識を導き、彼らにそれを押しつけることになってしまっている。

・評論においても、文章を正確に読み解くことだけに終始して、そこから生徒の意識を発展的に育んでいく努力をあまり行っていない。

〈閉ざされた授業〉

〈開かれた授業〉

《目  標》

・小説教材においては、生徒の自発的な〈読み〉の可能性を引き出し、その〈読み〉を生徒相互 の活動の中でより深めていけるような授業をめざす。=〈読み〉は一つではなくなる。

・評論教材においては、本文の主旨を理解するだけでなく、積極的に自己の意見をかかわらせ、さらに発展的な学習ができるような授業をめざす。

 

V.小説の授業における工夫

○『羅生門』(1年生「国語T」)の授業例

【目的】

 高校の国語の授業で初めて接する小説教材である。特定の〈読み〉を押しつけるのではなく、小説のことばに沿って自分なりの〈読み〉を形作るとともに、他者の意見や考えに接することで、自らの〈読み〉を深め、小説の面白さを体験させる。

【学習活動】

 第1時……作者についての解説。通読。各自で通読後の感想を書く。

 第2時……〈冒頭部分〉

        冒頭における物語の状況(時代・場所・時刻・登場人物など)を理解する。

 第3時……〈羅生門の下の場面〉

        羅生門の下での下人の状況を理解し、その心理を考察する。

《発問》

「盗人になるよりほかに仕方がない」という考えにたどり着きながらも、この時の下人は、それを積極的に肯定するだけの勇気が出ずにいる。下人が、盗人になることができなかったのは、なぜだと思うか?

 第4時……〈羅生門の楼の上で老婆を発見した場面〉

        老婆を発見した後の下人の心理の変化に注目する。

 第5時……〈老婆の前に飛び出した場面〉

        老婆の前に飛び出した後の下人の心理の変化に注目するとともに、老婆の言い訳の論理を理解する。

 第6時……〈最後の場面〉

        下人の心理の変化とそれにともなう行動について考え、他者の意見にも接することで、小説全体の読みを深める。

《発問》

・この小説の最後の場面に至るまでの下人の心理の変化と彼がとった行動について、あなたはどう考えるか(どのような感想を持ったか)、文章にまとめてみよう。

・最後の一文「下人の行方は、だれも知らない」は、下人のその後を読者に想像させる余地を残している。その後の下人がどうなったか、推測して書いてみよう。

6つのグループに分かれてお互いに発表し合う(あるいは読み合いをする)。

各グループの代表者は、自分のグループで出た意見の主なものを全体に発表する。

 第7時……(第6時の続き)

《発問》

他の人の意見や考えに接した上で、あなたは「羅生門」という小説全体についてどう考えるか、文章にまとめてみよう。

 

これまでの授業では、グループ学習などを取り入れながらも、最終的には教師が介入することで〈特定の読み〉に生徒の活動のすべてを収束してしまう傾向があったように思う。

 

【例えば…】

・下人の心理の変化を、〈善〉から〈悪〉への移行という二元論でしかとらえない。

・最終的に下人の行動から人間の持つ醜い〈エゴイズム〉を主題として浮かび上がらせる。

 

もちろん、このような読みがあってもよいのだが、一方で、〈善〉と〈悪〉の基準そのものの相対性を感じ取ったり、下人の行動に醜さ以外のポジティブな何かを感じたりする読みがあってもよいのではないか。多様な形で読みが深められることこそ、小説を扱った授業のあるべき姿だろう。そのためには、教師自身が〈正解〉に縛られる意識を捨てて、生徒間の相互活動の中で各自が考えることをよく見ていくことが必要。

 

W.評論の授業における工夫

○『癒しとしての死の哲学』(3年生「現代文」の授業例)

【教材について】小浜逸郎『癒しとしての死の哲学』(「高等学校改訂版・現代文2」第一学習社)

 冒頭、日本在住のあるアメリカ人ジャーナリストが書いた日本における癌告知の遅れを問題視する文章を引用し、その内容を批判しつつ、癌告知というものの背後に西欧文化(社会)と日本文化(社会)の差異を見出していく論考。

【目的】

@本文の主旨を理解するとともに、その内容に積極的に自己の意見をかかわらせる態度を育てる。

Aさらに他者の意見や考えに接することで、自己の意見をより深め発展させる糸口をつかませる。

【学習活動】

《ワークシート1》

冒頭に引用されている「日本在住のあるアメリカ人ジャーナリスト」の意見について。

Q1:最初この意見を聞いた時点での率直な感想として、あなたはこの意見に共感(賛成)しますか?それとも共感(賛成)しませんか?

Q2:Q1のように答えた理由を、自分の考えや感想を整理しながら、なるべく詳しく書いてください。

*3人ずつで読み合いをして、互いの意見に対してコメントを書き込む。

《ワークシート2》

【ワーク@】本文全体を読んだ上で、筆者の考えに対する自分の立場を整理してみよう。

Q1:筆者の考えの中で共感できる(肯定できる)のはどのような点ですか?

Q2:筆者の考えの中で共感できない(肯定できない)のはどんな点ですか?

【ワークA】この評論文を参考にして、「癌告知」や「文化の違い」といった問題について、自分の考えを書いてみよう。

*5〜6人ずつのグループに分かれて意見交換をし、その上で感じたことをコメントする。

 

用語や内容が難解であるほど評論文の授業は教師主導で一方的に展開しがちであり、文章を読解する(=筆者の意見を理解する)ことで目標を達成したと考えがちである。

 

【例えば…】

・読解にこだわるあまりに、生徒各自の意見や考えを発展させる機会を与えない。

・教材から読み取った筆者の意見(考え)を絶対視させてしまい、批判的に読む態度を育てない。

 

評論文の授業においては、読解の正確さに重点を置くよりも、その文章を通して生徒がどれほど各自の問題意識を深め、自己の考えを発展できるかに重きを置くべきではないか。意識さえ深まれば、ほかの様々な文章へとさらに発展的な学習も期待でき、読解力はおのずと身につくのでは。

 

X.おわりに―評価の問題について―

《授業の転換》

【小説】 特定の〈読み〉に導く → 各自の〈読み〉を深める

【評論】 正確な読解を重視 → 各自の問題意識を深める

評価をどうするか?

○学習活動そのものを評価する

例えば、『羅生門』『癒しとしての死の哲学』で使用したワークシートを回収し、各自の取り組み具合を点数化する。

→1年生で行った『羅生門』については、ある程度差をつけることができたが、3年生の『癒しとしての死の哲学』では、これで差をつけることはできなかった。

○テスト問題を工夫する

『舞姫』(3年「現代文」の例)

「……余は母の書中の言をここに反復するに堪へず、涙の迫り来て筆の運びを妨ぐればなり。」

〈問〉傍線部分について。ここには書かれていない母の手紙の内容はどのようなものだったとあなたは考えるか、自分がそう考える根拠を示し、詳しく述べなさい。

特定の内容を○にするのではなく、@具体的な根拠が論理的に記述され、Aそれと「手紙の内容」に整合性があれば、点数を与えた。

 

『チェスでヒトは敗れたのか』(3年「現代文」の例)

〈問〉次の意見は正しいか正しくないか、あなたの立場を明確にした上で、そう考える理由をわかりやすく説明しなさい。

「数年前に某家電メーカーが発売した犬型ロボット『アイボ』は、人間の働きかけに応じて本物の飼い犬のように多様な反応を示す。『アイボ』には、人間と同じような知能が備わっていると言える。」

これも「正しくない」という立場を正解にするのではなく、あくまでどちらの立場であっても、@そう考える理由が論理的に記述され、Aそれと選んだ立場に整合性があれば、点数を与えた。

 

→このテストを全クラスに実施しようと思うと、ほかの先生方の理解と同意が必要。さらに採点基準なども設定が難しくなる。

 

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