松山・道後温泉紀行その2

 

 道後温泉の大和屋本館に滞在し、2日目は「坊っちゃん列車」に乗って松山の街へと出かけました。

 

  

 小説『坊っちゃん』には、「……乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろ五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。……」との描写がありますが、松山は早くから鉄道が敷設された土地でもあります。明治21年10月、伊予鉄道が日本最初の軽便鉄道として四輪連結水槽付機関車をドイツのクラウス社から購入し、松山〜三津間で運行を開始。その時から昭和29年まで67年間も活躍した1号機関車は、現在、愛媛県の指定有形文化財として梅津寺公園に展示されています。

 

 その1号機関車を復元した「坊っちゃん列車」が、ちょうど私が訪れた2001年の10月から路面電車として松山市街の3区間を一日数本ずつ運行していました。私は道後温泉から大街道までの区間に乗車。さすがに蒸気機関ではなくディーゼル機関ではあるものの、運転席をはじめ汽笛の音や客車の作りもかなりリアル。運転手さんもレトロな制服に身を包み、さっそうとしていました。なお、「坊っちゃん列車」の切符を買うと、その一日は市内電車やバスも乗り放題になるため、ぜひオススメです(同行者マキ談)。

  

 

  

 「坊っちゃん列車」を大街道で降りると、松山城へ登るロープウェイやリフトの乗り場は歩いてすぐ。松山城は市の中心部、海抜132mの小高い山の上にそびえ立っていました。

 

 松山城は、関ヶ原の戦いで活躍した加藤嘉明が築城に着手し、25年の歳月をかけて寛永4年(1627年)に完成。同時に会津若松に転封となった嘉明に代わって次の城主に蒲生忠知が任ぜられたものの継子がなく断絶。その後、寛永12年、松平定行が入府して以来、松平家15万石の居城となり、今日の松山を形作ってきたのです。安政元年(1854年)に再建された現在の天守閣は、国の重要文化財に指定されています。最上階まで登ると、遥か瀬戸内海を見渡すことができました。

  

 

  

 松山城から大街道に戻り、路面電車で松山市駅前へ。そこから南へ少し歩いた正宗(しょうじゅう)寺というお寺の境内に、子規堂はひっそりとたたずんでいました。正岡子規は慶応3年松山市生まれ。子規堂は、彼が17歳で上京するまで過ごした住居を復元した資料館です。館内には、子どもの頃の子規が愛用した勉強机や遺品などが展示してありました。

 

 3日目、松山・道後温泉の旅もはや最終日です。道後温泉の商店街で、お土産として「一六タルト」や「坊っちゃん団子」を購入した後、JR松山駅へ。再び「しおかぜ」に乗り込み、本州を目指します。

  

 

  

 瀬戸大橋を渡る列車の窓から、穏やかな瀬戸内海に沈む2001年最後の夕日を見ながら、旅は終わりを迎えました。

 

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