韓国ソウル探訪その1

 

2002年春、サッカーのワールド・カップ開催を前に、韓国ソウルを訪れました。

日本からソウルへは飛行機で2時間程度。昨年開港したばかりの仁川(インチョン)国際空港へ到着です。

韓国は日本との時差もなく、気候も日本とほとんど同じ。訪れた時にはちょうど街のあちらこちらで桜の花が咲き乱れていました。

 

  

 ソウルは人口1200万人を抱える大都会です。着いてまず思ったのは、道路が広いことと道が車であふれかえっていること。ちょっと自分で運転しようという気にはなれません。街を移動する手段は、バス、地下鉄、タクシーの3つになるでしょうが、もっとも使いやすく便利なのはやはり地下鉄。思ったほど混むこともなく、路線が色分けされていたり、駅には番号がふられていたりして、初心者の私でも確実に目的地に着くことができました。今回、タクシーには乗りませんでしたが、聞くところによると、昔のように相乗りが当然といった状況は徐々になくなってきているということです。

 

 ソウルでまず訪れたのが景福宮(キョンボックン)。李氏朝鮮王朝の創始者・李成桂が1394年に建てた王宮です。16世紀末の壬辰倭乱(文禄慶長の役)による焼失後、1865年に再建されましたが、1910年からの日本統治時代に多くの宮殿が破壊されてしまい(日本の総督府はこの宮殿の敷地に建てられていたのです)、1990年から再建が行われています。右の写真は、景福宮の入り口である光化門(クァンファムン)を敷地の内側から撮影したもの。光化門は柳宗悦らが反対したことで1915年に朝鮮総督府庁舎を建てる際には取り壊しを免れましたが、朝鮮戦争で破壊されてしまい、近年になって復元されたのです。

  

 

  

 景福宮の中心とも言えるのが、現存する韓国最大の木造建築である勤政殿(クンジョンジョン)。左写真の勤政門の奥にあるのですが、残念ながら現在は修復工事中でした。ここは王の即位式や大礼が行われた場所で、日本の平安京で言えば大極殿にあたります。休日には外国人観光客だけでなく、地元韓国の人々もたくさん訪れていました。

 

 右の写真は勤政殿前の広場の石畳。縦一列に石柱が立っていますが、これは儀式の際に役人たちが位ごとに前から並んで整列するための目印。一番手前の石柱には「従二品」の文字が見えます。数字が少なくなるほど位が高くなるというのも日本と同じです。ちなみに、この景福宮を中心とした朝鮮王朝の街作りは、中国を元とする陰陽の思想に正確に基づいています。四神に囲まれたその中心に王は存在するのであり、その王は黄色の王衣を纏います。また、都のメイン・ストリートは南へと延び、都の正門である南大門(ナンデムン)へとつながるのです。この点でも、日本の平安京などと共通した要素が見られます。

  

 

  

 勤政殿の北西、池に浮かぶように流麗な姿をたたずませているのが慶会楼(キョンフェル)。韓国の1万ウォン札にも描かれています。楼閣は48本の花崗岩の柱で支えられ、重要な宴席の際に使用されたということです。

 

 王宮の中を散策していて、日本の建物と違う点を一つ発見しました。それは韓国の古い建物には、必ず床下に暖房用の焚き口があること。昔から床暖房が発達していたんですね。建物の裏に見えるのは、床暖房専用の煙突です。そういえば、昼ご飯を食べた焼き肉屋さんでも、床暖房が入っていました。昔のように薪を燃やすわけではありませんが。

   

 

  

 もう一つ気になったのが、屋根の先に並んでいる小さな人形たち。王宮のすべての建物にこれが必ずくっついています。何かと思って現地のガイドさんに尋ねたところ、何と三蔵法師の一行だとか。先頭(屋根の先の方)にいるのが三蔵法師で、その後に付き従っているのが三蔵によって改心させられた妖怪たち。仏教に帰依していることの象徴だそうです。

 

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