台湾探訪その4

 

 台南から飛行機(今回はジェット機でした)で最初に入境した台北へ。

 いよいよ今回の旅の最終目的地へ到着です。

 

  

 台湾は、日清戦争の結果、1895年に清朝から日本に割譲され、それ以後1945年の太平洋戦争における日本の敗戦までの半世紀の間、日本による統治時代を過ごします。その日本統治の象徴とも言えるのが、1919年に完成した台湾総督府です。当時の日本政府は、抗日運動を厳しく取り締まるとともに、強制的に日本国民としての教育を人々に行い、日本文化を台湾に植え付けました。が、その一方で、経済や社会生活の基盤となるインフラの整備を積極的に行い、それが現在の台湾の発展に繋がっていることも確かです。台湾の複雑な歴史の中で、この50年がどのような意味を持つのか。2002年の今も、重厚な赤レンガ造りの旧台湾総督府の建物は、台湾総統府となって存在し続けていました。

 

 1737年に建立された台北最古の仏教寺院、それが龍山寺(ロンシャンスー)です。私達が訪れた時は、ちょうどお祭りの行列が龍山寺の門前に入ってきていて、華やかな衣裳を付けた踊りを見物することができました(写真左)。ただ、爆竹や太鼓の音で賑やかな門前から境内へ足を踏み入れると、そこには外の喧噪とはかけ離れ、一心不乱に祈りを捧げる人々の姿がありました(写真右)。

  

 

  

 蒋介石は現在の台湾を語る上で最も重要な人物だと言えるでしょう。大陸において中国共産党との争いに敗れた蒋介石率いる国民党政府は、1949年12月、遷都という形で200万人にものぼる人々とともに台湾に逃れ、その後、台北を中華民国の臨時首都(本来の首都は南京)とすることで、実質的には台湾を大陸とは隔絶した状態で統治することとなります。現在の台湾は、良くも悪くもこの延長線上にあるのです。中正紀念堂(写真上)は、その蒋介石元総統(中正公)を偲んで1975年に建てられました。広大な中正公園の中、白い大理石で造られたこの建物は、まさに天を突くようにそびえ立っています。また、紀念堂の中にある蒋介石像の警備は、陸海空軍が交替で行うとか。私達が訪れた時には白い制服の海軍が衛兵として任に着いていました(写真下)。

 

 台湾の旅、最後の夜は何と北京ダックの登場です。台北市内でも有名な北京料理の老舗「天厨菜館」で、この贅沢な料理をお腹いっぱい味わいました。日野庵主人も大満足★★★

  

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