古道めぐり敦賀から河野・武生(府中)へ至る道  
山中峠道(万葉の道)(奈良・平安時代、最古の北陸官道)
・敦賀−五幡−阿曾−比田−山中峠−新道−今庄−湯尾峠−武生(府中)

塩の道(まぼろしの北陸道)(奈良時代から)
・敦賀−比田−菅谷−菅谷峠−瓜生野(大塩谷)−武生
山中峠道と同じくらい古い。駅田がなく官道にならなかったが、塩の道として利用された。


木の芽峠道(古代・中世の北陸道)(平安時代から中世時代の最大の官道)
・敦賀−越坂−葉原−新保−木の芽峠−二ツ屋−新道−今庄−湯尾峠−武生
紫式部が父の赴任の際、一緒に通った。

蛸の呼び坂道(田越坂または越坂)(平安時代から)
・敦賀−大谷−蛸谷峠−河内−具谷−七曲峠−春日野−武生
紫式部は帰京の際、この道を通ったとされる。

馬借街道(西街道)(平安時代から明治初期まで)
・敦賀−(海運)−河野、今泉浦−梨の木峠−中山峠−湯谷−大坂峠−当ケ峰−広瀬−武生
・敦賀−(海運)−甲楽城(蕪木)−梨の木峠−中山峠−以下同じ
・敦賀−(海運)−甲楽城(蕪木)−中山−中山峠−湯谷−勾当原−勝蓮花−小野−広瀬−武生
馬借集団による物資輸送路として、明治5年まで栄えた。

栃ノ木峠道(北国街道)(近世の北陸道、現365号線)
・木之本−柳瀬−椿坂−栃ノ木峠−板取−今庄−湯尾峠−武生
柴田勝家の軍用道として、近江から越前への直通道として栄えた。

春日野新道(河野から春日野までの道路)
・河野浦−春日野
馬借街道に代わり、河野浦から春日野経由で武生に入る。明治8年に河野から春日野まで有料の道路として開通した。

春日野隧道(敦賀までの旧8号線)
明治19年2月、春日野隧道が完成し、12月には、大良、杉津経由で敦賀までが開通した。のち、旧8号線となる。

その他
・明治29年7月、敦賀、森田間、鉄道開通。
・昭和33年10月、武生隧道(武生トンネル)、武生有料道路完成。新8号線の開通。
・昭和38年7月、桜橋完成。
・昭和53年1月、新武生トンネル開通。

・広域林道、栃ノ木−山中線(国道365線栃の木峠〜木の芽峠もと〜県道山中峠)
・ふるさと林道(県道山中峠〜大谷国道8号線)

引用文献:「河野の歴史を学ぶ」「古道を調べる」のレジュメ(右近了一氏編集)、「河野村史」


平成12年11月5日、晴天
「こうのくらぶ21」「王子保山の会」のメンバーと、「塩の道」を、6時間かけて歩きました。
武生市王子保の瓜生野町ホノケ山登山口から菅谷峠を越え、菅谷集落に降り、
林道を通って山中峠から、元比田へ降りました。全長約10kmです。

瓜生野町の案内板

塩の道、ホノケ山登山口

佐々生光林坊石碑跡

奥野々林道と合う菅谷峠

菅谷峠から日野山を望む
ホノケ山の紹介です
菅谷からホノケ山へ

菅谷の国道305線へ

菅谷の集落へ

菅谷から山中峠に向かう


(注)
菅谷から、右図の赤ラ
インをたどり元比田の
別院へ下りる。

「元比田」の標識で左へ

ふるさと林道を横切り

再び、山の中へ入る

別院うらに下りる
ホノケ山へリンク