神山地区はこんなところ
 
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 神山地区は昭和23年4月1日、当時の神山村と武生町が合併、武生市制がひかれた地区です。
 
武生の中心地より、南西3Kmの所に位地し、のどかな田園と豊かな歴史の中に新しい企業や住宅が建ち、それらが調和した地区です。
  当時の神山村には県内、他村には珍しく小学校本校が2校あり、神山東尋常高等小学校、神山西尋常高等小学校にそれぞれ通学区が別れていた。
 武生市との合併により、神山東小学校、武生南小学校、及び武生西小学校へ吸収され、今までの神山東小学校は消滅し、校下全区は南小学校及び西小学校の通学区となった。このようにして時代の変遷と共に神山地区も小学校、又は農協支部等も分裂のやむなきに至り、今は高瀬の忠魂碑慰霊祭のみが旧神山村地区の行事として存続されている。
 現在の神山地区は、越前市の行政区においても神山小学校の校下とし、池ノ上町、岡本町、広瀬町、広瀬町ひばりが丘、向ヶ丘町の五町となる。
地区の特産として、良質の粘土が採掘されたことから、越前瓦の製造が盛んであります。
 越前瓦は、きびしい雪国の寒さにも耐える銀色に輝く美しい瓦です。
 近年はどんどん宅地が造成され新しい道路もつくられ、神山地区も大きく変化しつつあります。
吉野瀬川ダム建設に伴い移転された、新小野22世帯が平成18年1月1日より神山行政区となる。

   戸  数     955戸  (平成19年2月1日現在)
   人  口    3,325人

  男性 女性

外国人世帯数
男性 女性
1,607人 1,719人 3,325人 136戸 118人 65人 188人
 

神山の地名の由来
 明治23年5月にそれまでの茶臼山村をあらためて神山村と改めた。池ノ上に雨の神を祀る龍神山という山がある。ここは1つの水源をなしている。その他に広瀬の片山、岡本の藤内山にも龍神が祀られている。この龍神山の「龍」の字を省いて、神山村なる。

武生町と神山村が合併

1948年(昭和23年)4月1日、武生町と神山村が合併して武生市が誕生した。人口31,743人、県内では福井市、敦賀市に続いて3番目に市になった。
 4月10日の市制記念式典に始まり,3日間にわたって祝賀行事を開催。市中心部では山車が巡行し、市民が町を練り歩いた。「町中が祝いムード一色だった。武生町と神山村の境となる通りには杉で作った祝賀アーチが立ち、至る所に旗やちょうちんが飾られた。合併までさまざまな議論があったため、念願の市制実現に喜びが大きかったのかもしれない」
 垣内さんは合併前の1946年から47年の1年半、現在の武生市高瀬町にあった神山村役場に勤務。農地委員会をなどを担当していた。当時学校を卒業したばかりの17,8歳だったが、父親が村会議員だったこともあって合併問題への関心は高かった。「村民がみんな合併に賛成していたわけではなかった。神山村は農林業をはじめ、打刃物などの産業も盛んで、村内に小学校が2校あるほど経済的にも恵まれていた。歴史にも自負があり、村がなくなるのを寂しく思っていた人も多かったのだろう」「村民が顔を合わせればすぐ、合併の話しになった。複雑な思いを持ったままの人もいたと思うが、村の将来を考え、次第に議論がまとまっていたのだと思う」その後、近隣の9村も編入。1959年8月の白山村を最後に、今の武生市が出来上がった。「合併して村の名前はなくなったが、村の歴史は消えるものではないと思っている。神山村だったことに愛着を持っている。」    
      福井新聞掲載 「思い出のアルバムより」   垣内崇男さん(広瀬町)