つれづれ日記 2000.9-10

2000年9月2日(土)

 学校の方は2学期が始まり、来週行われる学校祭の準備で忙しい限りです。教員も生徒に負けじと、職員劇をすることになったのですが、題名は「その後の桃太郎」。鬼退治をした桃太郎さんの後日談です。私は昔話を研究したことはないけれど、昔話って不思議な魅力がありますね。パターン化しているとも言えますが、逆に、物語そのものの安定した力を感じます。だからこそ、今だに桃太郎さんの「その後」も語られるのでしょう。昔から語り継がれた物語には、現実世界を解釈し、意味づけたい、秩序づけたいという人間の本能的とも言える営みが感じられます。近代の文学の多くも、多かれ少なかれ、このような原型となる物語を反復したり、異化したりしながら編み出されているのかもしれません。と、こんなことをゆっくり考えている時間はなかったのでした。桃太郎のセリフ、早く覚えないと……。

 

9月20日(水)

 しばらくぶりの「つれづれ」です。

 昨日、敦賀短期大学におじゃました際、学舎を案内していただきました。この短大には日本史学科があって、その中に考古学の講座も設けられているのですが、その考古学の教室に入った時、何となく懐かしいような羨ましいような気持ちになりました。土器のかけらや、発掘作業に使う道具などが雑然と散らばった空間。実は、私、日野庵主人は、実際に発掘に携わったことは一度もないものの、高校時代には何となく太古の世界というものに悠久のロマンを感じていて、将来は考古学の道へ進もうかと本気で考えていたこともあったのです。結局、私はその道を選ばず、今となっては、新聞に遺跡発見の記事が載っていても、純粋な感激というものを感じることはなくなってしまいました。でも、あの時、もしあの夢がもうしばらく続いていたら……。考古学教室の空気は、かすかな眩暈を私に与えたのでした。

 

9月22日(金)

 考古学の話題で思い出したのが、夏休みの終わりに出かけた三方町の縄文博物館。詳しくはマキの部屋で……、と先月の日記に書いたものの、いっこう同居人から音沙汰がないので、このホームページの100カウント間近を記念して、「つれづれ日記」初の写真入りで紹介します。

縄文博物館の館長は梅原猛氏。建物も独創的です。

 正直、この博物館を訪れたのは、熊川宿へ出かけた帰り道にちょっと寄ってみようかという程度のたいそう不謹慎な(笑)動機からだったのですが、実際に訪れてみてびっくり。独創的な建物もさることながら、何より内容がすばらしい。三方町の鳥浜で発掘された丸木舟などを中心に、縄文時代の文化や生活がとてもわかりやすく表現されていて、さらに、その学問的土台となっている「環境考古学」という視点が、私としてはとても興味深く、かつ刺激的でした。時間も忘れて見学に没頭。外に出てみると、夏の日も沈み、あたりはすでに薄暗くなっていたのでした。 

 

10月9日(月)

 「つれづれ」とはほど遠い毎日が続き、気がつくとはや10月になってしまいました。このところ公私ともに仕事が次々と重なって、「忙中閑あり」といった達観した境地などには到底たどりつくことのできない私は、ただひたすら精神的に忙しい状態をひきずっているのであります。で、そんな中で思ったことを断片的に二つ三つ。まず一つ目。ちょっとした必要に迫られて、この連休に二冊の書物を読みました。一冊は、以前から少し読みかけていたもので、土田知則『間テクスト性の戦略』(夏目書房)。もう一冊は、デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(白水社)です。期待していたほどの刺激は得られなかったものの、前者で取り上げられている「間読み性(inter-reading)」という概念には興味を覚えました。「読み」そのものが間テクスト的であるという意識は重要です。二つ目。あくまで個人的なことですが、「文学」ということばを無闇に前面に出すのはよくないかな、ということ。「文学」という枠組みそのものが、言語文化における一つの現象として扱われることで相対化されるべきものと(少なくとも私は)考えているのに、それを無反省に使うのは何ともうしろめたい気がします。とは言っても、この「日野庵」自体が、どう見ても「はじめに文学ありき」といった作りになってしまっているのですが…(苦笑)。この視点に正直になるなら、将来的には「日野庵」の大規模な改変もあり得るかも。三つ目。3年生の現代文の授業で、パソコンを使って「ミニ新聞」を作っています。3〜4人のグループに分かれてそれぞれにテーマを決め、社会の実状や問題点・解決策などを考察し、それを新聞形式にまとめて発表しようという試みです。以前から新聞作りを授業に取り入れられないかと考えてはいたのですが、実践するのははじめて。とにかく生徒たちはみんな頑張って作業を進めています。

 

10月25日(水)

 私が勤務している福井県立鯖江高校で県の国語研究会が行われ、私も3年生で行っている新聞作成を通した現代文の授業を公開しました。ちなみに、この公開授業で、9月の半ば以降週2〜3時間のペースで続けてきた「ミニ新聞」作成も最後となります。「遺伝子操作とその影響」「介護に関する問題」「労働問題―眠らない社会―」「原子力発電について」「高齢化と向き合う21世紀」「ゴミ問題」「国際ボランティアについて」「少年犯罪」「戦争について―広島の原爆―」「癌について」「最近の子ども事情―学校教育について―」「パレスチナ紛争について」。各グループとも、それぞれのテーマを通して、「ことばによる思考」をかなり実践できたようです。しかし、受験を前にした彼ら、今後はもっぱらセンター試験の問題演習に時間を費やすことになります。マークシートに彼らの将来がかかっている――如何せん、これが現実です。

 

10月28日(土)

 ちょっと気になって数日前の「朝日新聞」から切り抜いてあった文章を、今日あらためて読んでみました。「……いつのころからか、日本の小説については物語の筋よりも、先ずは言葉の織物そのものに宿っている力に強く惹かれるようになった。言葉の織物から立ち上がるものを感じ、それを快楽と感じる言語感覚は、ある日突然、気泡のように生まれ出たのだ。……」作家の高村薫さんの随筆です。高村さんはさらに、トルストイの捉える世界が「どの人物もいわば作者の手によって細かく振り分けられた役を演じる役者であり、読者はどこまでも舞台を前にした観客に留まりながら、その写実的なことに驚き続ける」ものであるのに対して、ドストエフスキーの世界は「人物の数だけ分裂した作者自身が各々の中に入り込んでいるため、読者は自分の前に立ち現れる各々の『わたくし』と、『わたくし』を通して形になる世界にいわば一対一で向き合うことになる」ものであることを指摘します。「写実的な三人称」ではなく、世界が「それを見つめる人物の目の中で、体の中で、心の中で立ち現れてくる現代的な手法」にひかれるという彼女。その理由を彼女は、「昔から他人や世界に対する違和感を強く意識していた子供にとって、あれこれの小説を手に取った理由はただ一つ、自分の感じている違和感に近い世界を探すことだっただろう。個々の小説の人称や、その人称と世界との距離に敏感だったのは、そのせいだと今は思う」と、分析します。小説の〈リアリティー〉を考える上でのヒントが、この中にあるような気がします。

 

10月29日(日)

 田山花袋の『生』と、平面描写。川端康成の『一節』と、新感覚派理論。以前から手をつけていたこれらのことを、もう少ししっかりと考えて文章にしたいと思っているのですが、なかなか進めることができません。できれば川端文学研究会の会報に間に合わせたいのですが……。この2作品を並べてみた場合、小説の〈リアリティー〉という点で何が見えてくるのか。また、作品とその〈読み〉の側からそれぞれの描写理論を眺めることで、それらを再評価することができるのではないか。悶々としたまま10月が過ぎようとしています。

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