つれづれ日記 2001.7-10


10月28日(日)

 いつの間にやらweekly日記(?)となってしまいました……。さて、みなさん、「古今伝授の里」というのをご存知でしょうか。私、日野庵主人はつい最近、同じ職場の先生から聞いてはじめて知りました。何でも郡上八幡の北、大和というところだそうなのですが……。多忙を乗りきったら、ぜひ訪れるゾー! ついでに、「武生菊人形」は今年50周年。知る人ぞ知る武生の一大イベント「菊人形」。こちらもひさしぶり(ほぼ20年くらい行ってません。小・中学校の頃は遠足などで必ず行ったのですが。)に訪れてみたいものです。


10月21日(日)

 秋はさまざまな文化行事が盛りだくさんの季節です。日野庵主人も今週の25日には教育研究所主催の高校国語講座で研究発表とやらをしなくてはいけないし、来月の1日には福井県の高校総合文化祭の一環として新聞大会を鯖江で開催しなければなりません(日野庵主人、その大会の事務局を担当しているのです)。学校では今ちょうど中間テストが終わり、答案を生徒諸君に返したところ。一息つくひまもなく、次はそれらの行事で大忙しです。最近、このページにはとんと姿を見せない同居人のマキの方はというと、テニス部の顧問ということで(マキ自身がテニスができるのかは疑問)、今日は来週の新人大会に向けた練習試合に、お隣の石川県へと部員を連れて向かいました。あたふたとした中、日野庵の秋は深まって行きます。


10月8日(月)

 横浜に行ってきました。と言っても、ある会議に出席するためだけのほとんど余裕のない日程で、会議は長時間にわたるし、疲労はたまるしでへとへと。ただ、唯一の救いは、島崎藤村の『夜明け前』に描かれた横浜開港の場面なぞを思い浮かべながら、あらためてこの街を見ることができたことでしょうか。以前に一度来たときには、ランドマークタワーの高さに驚き、夜景のきらびやかさに見とれ、ほとんどおのぼりさん状態で都会の景色を眺めるだけだったのですが(笑)。今回ふと思ったのは、横浜という街が、いろんな面で過剰なイメージをおっかぶされて来てしまったのでは、ということです。もちろん横浜は、幕末の開港以来、西洋の文化や人々にじかに触れ続けてきた場所ですし、さまざまな欧米文化をいち早く取り入れてきた街でもあります。でも、それだけに、実は人一倍人間臭いところを、庶民的で、ある意味田舎臭い(これ、悪い意味でないので勘違いしないでね)ところを持っているのじゃないか、とも思うのです。みなと未来21やベイブリッジに代表される都会的に洗練された現代の横浜のイメージは、多くのメディアにのかって、私たちの頭に焼き付けられています。が、そのイメージとは別なところに、あまのじゃくな私は興味を持ってしまうのでした。


10月5日(金)

 昨日の月の話題の種あかしを……。みんなの感性はするどかったのです。今年の中秋の名月(陰暦8月15日の月)は、たしかに10月1日にあたるのですが、月が正しく満月となったのは2日の夜だったそうなのです。つまり、今年は暦の上での十五夜と、実際の満月がズレていたということ。みんながズレてたわけではなかったのです。それにしても、秋の澄んだ夜空にぽっかりと浮かぶ満月の光って、人を惹きつける不思議な力があるものなのですね。

   中秋や月のみちびく家路かな     青魚


10月4日(木)

 職場でふとしたことから2日前の月のことが話題になりました。誰かが、帰宅途中に見た月のあまりのきれいさに驚いたということを言ったのがきっかけで、そう言えば私も、俺も、といった声が多数あがったのです。実はかく言う日野庵主人も、目前の雑事に追われ、秋の月を眺める余裕などない生活を送っていたのですが、10月2日の夜の月だけはその影がおのずと目に入り、しばらく見とれてしまったほどで、あざやかに覚えていました。ちょうど中秋の名月のころ。あれがそうだったのではという話になったのですが、暦を見ると、今年の中秋の名月は10月1日。みんなの感覚、1日ズレてたのでしょうか……?(明日につづく)


9月30日(日)

 その後、リンゴの歴史について『ブリタニカ国際大百科事典』(1974年8月刊)と平凡社の『世界大百科事典』(1981年4月刊)で調べてみました。すると、現在ふつうにリンゴとして栽培されているもののほとんどは、南ヨーロッパから西南アジア原産のマルス・プミラ(M.pumila)系統の品種で、それとは別に、モンゴルや中国原産のマルス・アシアティカ(M.asiatica)という種があることがわかりました。そして、幕末から明治にかけて欧米から輸入され、たちまち日本各地に広まっていったというのは、プミラ種のリンゴだったのです。『ブリタニカ』にはその経緯が、「現在リンゴと称される品種群は、文久年間(1861〜63)にはすでに栽培されていたが、本格的に導入されたのは、明治政府の命を受けた細川潤次郎が明治4(1871)年にアメリカから苗を輸入したのに始る。これらとその後導入された苗を、勧業寮が旧士族を中心に配布した。青森県などのリンゴ栽培はこの時点から始る」と記述されています。一方、それ以前の日本にリンゴはなかったのかというと、そうではありません。先程のアシアティカ種はかなり古くに中国から日本に渡来していて、10世紀の『本草和名』『和名類聚鈔』にはすでに、「林檎、和名利宇古宇」との記述があるそうです。ですから、欧米からプミラ系統のリンゴが輸入された当初は、西洋種は「オオリンゴ」「セイヨウリンゴ」「苹果(へいか)」、在来種は「コリンゴ」「ワリンゴ」「ジリンゴ」「林檎」と区別して呼ばれたり表記されていたのが、「現在ワリンゴはなくなったのでリンゴといえばセイヨウリンゴをさすこととなった」(平凡社)、「在来種に比して果実がはるかに大きく、かつ美味な西洋種はまたたくまに在来種に取って代り、それとともに、単にリンゴと呼ばれるようになった」(ブリタニカ)ということです。百科事典の記述では、松平春嶽とリンゴの関係はわかりませんでしたが、現在は「なくなった」とされるワリンゴとはどんなものだったのか、さらに謎は深まってしまったのでした。


9月28日(金)

 昨日の福井新聞のコラム欄「越山若水」で、リンゴが幕末から明治のはじめにかけて日本に広がったものであることを知りました。それによると、「リンゴの産地といえば青森か長野。……しかし明治のころ、福井もリンゴ栽培の先進地だった。……福井城跡に開かれた松平試農場で1.4ヘクタールも作られた記録がある。『越前松平試農場史』(小林健寿郎著)に詳しい。松平春嶽の孫にあたる康荘氏がイギリスで農業を学んで帰国。最も力を入れたのがリンゴだった。……それどころか春嶽その人が日本の『リンゴの父』とうたわれている。……『青森県りんご百年史』に、春嶽が1864、5年ごろにリンゴ苗を輸入して江戸藩邸と本国福井に植えた。この接ぎ木が植木屋に流れて広まった、とある。青森県内のリンゴ園には松平春嶽の像まで建てられている」ということです。考えてみれば、ヨーロッパの古典には、アダムとイヴのリンゴをはじめとして、リンゴがけっこう登場してくる(そういえば職員劇でやった「白雪姫」にも)のに、日本の古典にはとんと見かけませんねえ。とすると、島崎藤村の「初恋」でうたわれた「林檎」は……。松平春嶽公のすごさ(この人物、もっと評価されてしかるべき人だと思う)もさることながら、リンゴの歴史に興味を深めた秋の日でした。


9月24日(月)

 一昨日から続けての日記。日記らしくなってきました。昨日は秋分の日ということで、さわやかな秋風のもと、座敷の畳干しをしました(日野庵にも座敷はあったのだろうか?)。で、その振り替え休日の今日は、ゆっくりと読書に耽ろうという魂胆でおります。日野庵の書棚には、主人の読書待ちの本がたくさん眠っているのですが(常にたまっている。いつになったら全部読めるのやら……)、今は島崎藤村の『夜明け前』を読書中。何を今さら、と思われるでしょうが、この夏の信州への旅(詳しくは「つれづれ紀行」をどうぞ)をきっかけに、丁寧に読み込んでみようという気持ちになったのです。新潮文庫で4冊にもおよぶ大作。かなり時間はかかりますが、おもしろい作業です。


9月23日(日)

 昨日堅苦しいことを書いたので、今日はやわらかめにワッフルの話です(笑)。今年の夏、日野庵主人の気に入っていたものに、「珈琲家族」というお店のアイス・コーヒーとバニラアイス・ワッフルがあります。「珈琲家族」はそもそも(この田舎の武生にはめずらしい)自家焙煎のコーヒー専門店。で、コーヒーが美味しいのは言うまでもありませんが、このワッフルの美味しさもひそかに有名です。それから、アイス・コーヒーもばかにはできない。シロップ付きとシロップなしでコーヒーの種類も違うというきめ細かい心遣いがあります。武生で自慢のできるお店の一つです。

  お店の方に許可を得て撮らせていただきました。


9月22日(土)

 しばらく日記から遠ざかっている間に、世界中を騒がせる大きな出来事が起こってしまいました。しかし、アメリカという国は、なぜこんなにも「強くなくてはいけない」という意識から抜け出すことができないのでしょうか。そう言えば、アメリカ映画では昔から、「巨大な敵と戦って勝利する」という物語が繰り返し繰り返し描かれてきました。その敵とは、ある時にはソ連だったのであり、ソ連が崩壊した後には、地球を侵略する宇宙人や地球に降りかかる宇宙規模の災害にまで及びました。そして常に、そこで描き出されてきたのは、人類の自由と平和と民主主義を滅ぼそうとする悪者と、それを守ろうとする正義の味方アメリカという二項対立の構図です。今回も、ブッシュ大統領はこの構図をアメリカの人々の意識に焼き付け、そこに世界の国々を巻き込んで、大きな戦争を開始しようとしています。けれど、アメリカの中にも、今回のテロ事件に対して、自らのうしろめたさというものを感じている人はいるのではないでしょうか。テロという行為は毛頭許されるものではありませんが、その許すべからざる行為にも、背景というものはあります。アメリカという国家自体が実は、多大な犠牲者を出した今回の事件に対して、決して潔白ではないこと。それを自覚するところからしか、本当に前向きな一歩は踏み出せないはずなのですが……。現実は単純な二項対立ではないのに、哀しいかな、「大きな力」はすべてを隠蔽し、映画のシナリオどおり、着々と物語を進めてしまっています。


9月3日(月)

 カウンターが2000を突破。おめでたいことです。本来ならこれを記念して何か特集でも組まないといけないのでしょうが、マイペースの日野庵主人に、そんな華々しい企画があるはずもありません。申し訳ないです。で、近況はと言うと、高校の方では、今、学校祭の直前。生徒も先生も一緒になって準備に汗を流しています。そんな中で、毎年恒例の職員劇、今年は「白雪姫」になりました。しばらく前に「ほんとは怖い……」とかいう本をきっかけにして、グリム童話本来の残酷さが話題になっていましたが、この「白雪姫」の場合、最後は意地悪をした継母が、白雪姫と王子の結婚式に呼び出され、そこで真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて、踊り続けて死ぬという終わり方なのです。これ、少なくとも、日本で出版されている幼児向けの絵本には絶対に描いてありません(と、言い切れるわけではないけれど、おそらくそうでしょう)。職員劇でも、さすがにこれを最後に持ってくるわけにはいかなくて、実はいまだに最後の場面がしっくりいっていません。継母を登場させないまま、姫と王子とのハッピーエンドでしめくくるのか、それとも何らかの形で継母の始末をつけるのか。……最後の処理で、劇の方向性ががらりと変わってしまうのです。


9月2日(日)

 『パール・ハーバー』の後、夏休みの最後に『A.I.』を見て、そこで勢いづいて、レンタル・ビデオで『シックス・センス』を借りてきました。『A.I.』では、最後に出てくるのが宇宙人か未来人か未来生物か未来ロボットかで議論になり、『シックス・センス』では、最後の「秘密」がわかった後、テープを巻き戻して、もう一度別のストーリーとしてじっくりと鑑賞してしまいました。何となく映画づいている夏の終わりです。


8月21日(火)

 先日、『パール・ハーバー』を見てきました。ひさしぶりの映画です。まだお盆休みの人も多かったせいか、映画館は満員。おかげで最前列での鑑賞となり、3時間の大作を見終わった時には、首が痛くなってしまいました。ただ、この『パール・ハーバー』、日本公開にあたって内容の一部が修正されたとか。日本での収益を減らしたくないウォルト・ディズニー・カンパニーの「配慮」なのでしょうが、できるならアメリカで公開されたままの形で見たかったものです。


8月17日(金)

 最近興味を持ち、一度訪れたいと思っているのが台湾です。他国の歴史に鈍感な日野庵主人ですが、以前何かの機会に外省人(国民党政府に従って台湾に移住してきた軍人・公務員とその家族たちをさす)と本省人(内省人とも言うのでしょうか?それ以前に中国大陸から移住していた人々をさす)ということばを知り、さらにもともと台湾に住んでいたさまざまな民族との関係も含めた複雑な歴史の一端を知り、その時から何かしら、台湾という社会が身近に感じられるようになったのでした。そしてその後、6月24日に成蹊大学で行われた川端文学研究会の大会では、思いがけず、台湾の現代作家・朱天心によって書かれた『古都』(1997.5、日本語訳は2000.6に清水賢一郎訳で国書刊行会から刊行)という小説の存在を知りました。これを取り上げた発表者曰く、この作品は「戦後の台湾・日本の言説を鋭く問いなおす視座が含まれている」そうで、まさに私が興味を抱きはじめていたことにぴったりなのです。まだ手に入ってはいませんが……。台湾の人々と日本の関係には、世代や時代という単純な軸では割りきれない、複雑な要素がからみあっています。そして、もしかすると、このような台湾と日本の関係を一つずつ誠実に解きほぐしていく行為こそが、中国や韓国も含めたアジアの諸地域の人々と私たちとの関係を問い直し、前向きに考えていくことに繋がるのではないかと思ってみたりしている今日この頃です。


8月15日(水)

 小泉首相の靖国神社参拝の是非や歴史教科書問題が渦巻く中、あらためて、〈出来事を語る〉という行為の困難さ・罪深さと、その行為に頼らないでは生きられない私たち人間の〈業〉とでも言うべきものを感じる。芥川龍之介の小説『藪の中』は、語ることによって生じる出来事の複数性を描き、語られることによってしか〈出来事〉は存在し得ないことを描いた。現代の「藪の中」は、どのようなダイナミズムの中に現象していくのか。今日、56回目の終戦記念日。


7月28日(土)

 先日、福井大学のK先生のお宅にお伺いした際に、北海道の話題が出ました。K先生はそもそも北海道のご出身なのですが、私も7月上旬に初めての北海道旅行をし、それでこの話題となったわけです。その会話の中でおもしろかったのは、私が小樽で何気なく立ち寄った小さな文学館のことを先生にお話しすると、実はその文学館には知り合いの方がいらっしゃって、特別展などでK先生ご自身も協力なさっているとのこと。世の中っていうのはこうやって繋がっているものなのだなあと、あらためてしみじみしてしまいました。ちなみに、現在、観光スポットともなっている小樽の運河には、北前船で運ばれた福井の笏谷(シャクダニ)石が使われたそうです。みなさん、知ってました?


7月26日(木)

 今日は午前中の課外授業の後、なぜかこの私が地域の高校生40人ほどを相手にパソコン講習をすることに。コンピュータの知識なんてほとんど無いに等しい私が、どうしてそんなことになったかという経緯は長くなるので省略するとして、これが本当に疲れてしまいました。一般の人の講習と違って(といっても私が一般の人の講習を実際に見てきたわけではありませんが、たぶんそうでしょう)、高校生というのは、自分ですこしわかったと思うと、教えもしない予測不能なことを勝手にやってしまうという大胆な行動を平気でとるものなのです。実は、この恐れを知らない危険と裏腹な無鉄砲な行動こそが、新たな世界を開拓して行くための偉大な可能性のもとでもあることは、重々私も承知しているつもりなのですが、たくさんの人間を前にして(まがいなりにも)教えなければならない立場からすると……。暑い夏に冷や汗をかきながらの一日でした。


7月23日(月)

 今日は「大暑」。暑い日が続く。名古屋場所は魁皇が優勝。同居人のマキの影響で、最近相撲に興味を抱く日野庵主人であった。

 掲示板ついに登場。


7月22日(日)

 ほんとにひさしぶりのUPですねえ。ずっと調子の悪かった我が庵のパソコンも、先日無事にハードディスクの交換などを終え、何とか復活! まだ「日野庵」の全面リニューアルまではいきませんでしたが、最新の論文を一本追加しました。日野庵主人も会員となっている川端文学研究会の年報に発表したものです。ちなみに同会の年報は「川端文学への視界」という書名で、今号は第16号。2,500円(税別)で銀の鈴社から出てますので、興味のある方はどうぞ。


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