つれづれ日記 2002.1-3
■3月17日(日)
今朝の新聞によると、文部科学省は4月からの完全学校週5日制実施後に一部の自治体や学校で計画されている土曜日の補習について、授業形式や一律に強制しないことを条件に認める方針を固めたとのこと。予想はされていましたが、「ゆとり」を合い言葉に進められてきた新学習指導要領の理念は、その実施を前にしてすでに崩壊したと言っていいでしょう。「つれづれ日記」でも幾度となく言及してきたように、ここ数年の日本社会の急激な変化(それは日本の社会が先送りし続けてきたさまざまな問題を表面化するものであった)の中にあって、人々は国際社会の中での日本の競争力不足を嘆き、子どもたちの学力低下を訴え続けます。数年前までは、知識偏重や詰め込み教育の弊害を盛んに唱えていた世論が、その舌の根も乾かぬうちに、まったく逆のことを、さも普遍の真理のように言い始める。現在の学校教育は、短い期間でころころと変わっていく人々の声に翻弄されて揺れ動き、結局は当事者である子どもたちを犠牲にしてしまっているように思います。「ゆとり」どころか、週5日制になったことで生徒は1日7時間授業+土曜日の補習を強いられ(いくら自由参加がたてまえであっても、それを否応のないものにしていくのが競争の原理なのです)、さらに部活動やボランティア活動への積極的な参加まで期待される。さらに習い事や塾へも……。いずれも大人社会のエゴだけで、子どもの意識は無視されたまま進んでしまっているのです。学校教育は、当然社会の変化とともにその形を変えていくべきものですが、その中にも変えてはいけない部分はあるはずです。「不易流行」という言葉の意味を、今こそ考えてみなければいけません。
■3月16日(土)
そういえば、この日記に大事なことを書き忘れていました。先月の最終土・日に職場の仲間と大阪を旅してきたのです。1日目は、いまや定番となった(?)USJでハリウッドの風に触れ、夜はなんばに泊まって食い倒れの街・大阪の味を満喫。2日目は「NGK」こと「なんばグランド花月」で吉本の笑いを楽しんだ後、黒門市場や通天閣界隈を散策しました。これまで大阪にはうとい日野庵主人でしたが、今回の旅でいわゆる南(みなみ)のおもしろさを知りました。大阪はおもしろい!こんどまたゆっくり散策してみようと思っています。
■3月10日(日)
若狭の神宮寺と鵜の瀬を訪ねました。「お水送り」からちょうど1週間。数千人の見物客が押し寄せた昂奮もうそのように、その場所はひっそりと春の陽光に包まれていました。寺の方のお話では、「お水送り」の由来はいくつかあっていずれが本当だとも言い切れないそうですが、いずれにしても若狭のこの地が奈良や京都といった古来の文化圏と強く結びついていたことは確かでしょう。「ちなみに、写真(右)の鵜の瀬は、漫画『陰陽師』にも登場しています」(マキ談)。
■3月9日(土)
先日受験生が持ってきた小論の課題文の中に、「近年、日本では競争の原理をさまざまな分野に持ち込んで活性化を図ろうという傾向が見られますが、これについて……」といったものがありました。管理統一された社会と、自由な競争に基づく社会。確かに、ソビエト連邦の崩壊、中国経済の自由化など、ここ十数年の世界の変容はグローバルな経済の自由競争を促進し、その中で各国・各組織は競争に耐え得るだけの体質改善を否応なしにせまられることとなりました。これまでにはありえなかった金融機関や大企業の倒産、合併や提携、外国資本の投入、リストラ、構造改革……。なるほどこれらの動きは世界的なシステムの合理化のために必要なことなのかもしれません。けれど、この動きが、はたして地球に住む私たち人類の幸福につながるかというと、そこには大きな「?」がつくように思います。2月3日の日記にも引用した「政治から倫理にいたるまで、昨今、社会の基本的な価値観を論じる風潮が一般に衰えている」という山崎正和さんのことばの通り、それは「人類の幸福」を真剣に議論する余地もないまま、当然のことのように世界を巻き込もうとしているようにも思えます。そして、今、日本では教育にも自由競争の原理を持ち込もうという動きが活発化しています。理由は簡単。グローバルな競争に勝つための高い競争力を備えた人材を育てる必要が出てきたからです。長い間日本の教育を支配してきた「平等」ということばは輝きを失い、「能力に応じた」「個性を生かす」ということばがそれに代わろうとしています。小学校の校区をなくして、子どもや親が自由に行きたい学校を選べるようになれば、これまでどこの学校でも均一だった教育内容が、今度はほかの学校に負けないようにそれぞれの学校で工夫がなされ、特色を出したものへと変わっていく。そして、それぞれの子どもが自分に適した学校で自分の才能を伸ばすことができる。一見すると、理想的とも見えるプランですが、これは同時に恐ろしいみかえりもはらんでいることに私たちは気づかなければいけません。日本の経済に起こっていることと同じことが、学校教育の世界にも起こりうることになるのですから。その議論もないまま、風潮だけで世の中が動かされていくことほど危険なことはないように思います。
■3月7日(木)
高校の合格発表を明日にひかえ、ふと、昨年のその日のことを思い出しました。この時期、国公立の後期日程試験に臨む受験生たちは、卒業式が終わったとはいっても、小論文の指導を受けにしばしば学校へやってきます。昨年は、たまたまそんな卒業生の一人と一緒に高校の合格発表の様子を見守ることになりました。自分の番号を見つけて喜び合う中学生の姿を少し離れた場所で見つめながら、その卒業生が「もし、もう一回高校をやりなおせたら、もっとまじめに勉強するのに」と呟いたのを、横に立っていた私は複雑な思いで受けとりました。私が3年間授業を受け持ったその生徒は、教師である私の目から見ても、勉強を怠けたどころか、つねに真面目に一生懸命高校生活を過ごしてきた生徒の一人だったのです。「いったい自分はこの3年間で、この生徒に何をしてあげられたのだろうか?」「大学に合格するかどうかで高校3年間の意味が決まるわけじゃないはず」……いくつかの思いが頭の中を駆けめぐった一方で、何かしらその生徒の姿が尊く眩しいものに感じられました。一口に高校生と言っても、さまざまな姿があります。そしてその中には、最後の最後までひたむきに勉強し、受験に立ち向かう姿もあります。
■3月6日(水)
高校入試終わる。ふきのとうを食す。早春の味はほろ苦い。
■3月3日(日)
昨日、若狭の神宮寺で恒例の「お水送り」が行われました。鵜の瀬から遠敷川に注がれる香水(こうずい)は、10日かけて東大寺二月堂の若狭井に届くとされ、12日(13日未明)には「お水取り」の儀式が営まれます。10年ほど前、私もこの「お水送り」に参加したことがあります。闇の中、松明の灯りを手に川辺までの2キロ程の道のりを行進した後、護摩の炎と煙がたちこめ、ほら貝の音が鳴り響く中で行われる神秘的な密教の儀式を見守りながら、自分が何か異世界に突入してしまったかのような不思議な感覚に襲われたのを今でもはっきりと覚えています。若狭と奈良、過去と現在と未来。時空を超えて流れる〈水脈〉を、私たちはこの瞬間に垣間見ることができるのかもしれません。「お水送り」が終わり、若狭にも本格的な春が訪れます。
■3月1日(金)
福井の高校では今日と明日が卒業式ラッシュのようで、私の勤務校でも明日卒業式が行われます。もっとも、センター試験から私立大学の入試を経て国公立大学の2次試験へと息つく暇もなくやってきた受験生にとっては、感傷にひたる時間もなく「もう卒業式なの?」というのが実感かもしれません。考えてみれば私自身も高校の時には、「もう卒業式なの?」だったような気がします。ただ、こういう感覚も、私としてはそう悪くないのではと思っています。よく「人生の節目」という言葉を耳にしますが、そんなに気負って「節目」をつくらなくても、と思うのは天の邪鬼な私だけでしょうか?
■2月28日(木)
アメリカのブッシュ大統領はイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」とし、イギリスそして日本の首相もその発言に同調する姿勢を見せています。いったい、どこまで本気なのでしょうか。ヒーローであるはずの〈物語〉の主人公が世界を滅亡に導く。……そんな結末が危惧されてなりません。
■2月16日(土)
昨日の続きになりますが、「健康と障害」ということばで、以前NHKの『世紀を越えて』(だったと思う)で放映された遺伝的病気や障害に関する特集を思い出しました。そこでは鎌形赤血球貧血症を例にとって、なぜこのような遺伝的な病気が存在するのかという問題を検討していました。鎌形赤血球貧血症は遺伝子の欠陥によって起こる、赤血球が正常に酸素を運べなくなる病気で、一般に黒人に多いとされています。当然、この点だけを見れば、この世界から絶滅してほしい恐ろしい病気です。ところが、なぜそんな恐ろしい病気がこれまで存在し続けてきたのかというと、そこには理由があるというのです。実は鎌形赤血球貧血症を引き起こす欠陥遺伝子は二つそろうと発病しますが、一つだけだと発病しないばかりでなく、マラリアの病原菌に強く、マラリアにかかりにくかったり、かかっても死には至りにくいそうです。人類の長い歴史の中で見ると、現在は〈欠陥〉と呼ばれている鎌形赤血球貧血症の遺伝子が突然変異によって生じなければ、熱帯地域で生きてきた人々は、マラリアによって絶滅してしまっていたかもしれないわけです。その番組では、もう一つ興味深い例をとりあげていました。日本のある研究者が、一つのシャーレの中で繁殖力の強い大腸菌と繁殖力の弱い大腸菌の2種類を同時に培養する実験を行ったところ、単純な理屈で考えれば繁殖力の強いものばかりが生き残るはずなのに、実際には、何度実験しても、シャーレの中には弱い大腸菌が必ず何パーセントか生き残るというのです。つまり、このことから言えるのは、自然の営みの中では常に〈多様化〉という現象が発生し、それによって遺伝子はどのような環境でも生き残る道を切り開いているということ。言い換えれば、現在は〈欠陥〉であり〈障害〉とみなされている要素であっても、環境が大きく変化すれば、それが新たな生き残りの道を切り開く唯一の〈救い〉になるかもしれないということです。
■2月15日(金)
福祉関係の大学をめざす生徒の小論文の中に「健康と障害」というテーマを見つけ、私自身も以前から気になっていたことでもあるので、しばし考えてみました。ふだん私たちは、〈健康な人〉と〈障害を持った人〉を無意識のうちに区別し、対比しがちです。そして、この考えの延長で〈福祉〉というものをとらえ、〈福祉〉=〈健康な人が障害を持った人を助けてあげること〉と考えてしまっています。実際、これまでの社会においては、おおかたこのような意識のもとに福祉のシステムが構築されてきたと言えるでしょう。しかし、よく考えてみると、〈健康な人〉と〈障害を持った人〉を区別する意識そのものに、大きな間違いが含まれていることがわかります。例えば、健康だとされている人でも、常に何の障害もなく生活したり社会に参加したりできるかというと、そうではありません。身体的にも精神的にも大小さまざまな悩みや障害を抱えながら、日々を過ごしているというのが実情です。逆に、障害を持っているとされている人でも、前向きに社会に参加したり周囲の人と関わっている人はたくさんいます。つまり、何が〈健康〉で何が〈障害〉かなどということは、区別できるものではないのです。おそらく、〈健康〉と〈障害〉の区別意識(これが差別につながる)などというものは、何の根拠もない偏見が、問い直されることなく社会の中で構造化してしまったものに違いありません。近年、「ノーマライゼーション」ということが言われるようになってきたのは、このような間違いに人々が気づき始めたからなのでしょう。
■2月10日(日)
ソルトレイクで冬季オリンピックが開幕。開会式では、世界貿易センタービルの廃墟から回収された星条旗もニューヨークの警官と入場。アメリカが紡ぎ出す〈物語〉は、アフガニスタンへの攻撃と介入を経て、このソルトレイクへと繋がるのでしょうか。2001年9月22日の「つれづれ日記」に私は、「アメリカという国家自体が実は、多大な犠牲者を出した今回の事件に対して、決して潔白ではないこと。それを自覚するところからしか、本当に前向きな一歩は踏み出せないはず」と書きました。それを怠ったまま、「人類の自由と平和と民主主義を滅ぼそうとする悪者と、それを守ろうとする正義の味方アメリカという二項対立の構図」を無意識のうちに押し通しても、何の解決にもならないことはわかりきっているはずなのですが……。オリンピックの開会式に入場した「傷ついた星条旗」を見た多くの人々の抱いた感情が、〈悲哀〉や〈追悼〉だけではないことを祈ります。
■2月9日(土)
3年生のある生徒が、小論文の練習でこんな文章を書いてきました。「……日本の教育において、個性の尊重はなされているだろうか。教師がある問題提起をする。これに対し、子供達はそれぞれ意見を述べる。その後、教師が自分の考えを子供達にまとめとして言う。実は、そのまとめこそが日本の個性破壊なのである。教師が最終的にまとめをすることによって、子供達は、教師の言ったことが正しくて、自分たちの考えは間違っているのだと誤った認識をしてしまう。そして、子供達はその問題について、これ以上に考えようとはしなくなってしまう。/子供達の個性を尊重するためには、欧米で行われている、ディスカッションを授業の中に多く取り入れることが有効だと思われる。教師は問題提起をするだけでよい。その後は、子供達にまかせ、自由に意見を述べさせるのである。大勢の意見に耳を傾けることによって、彼らは、人によって考え方はさまざまであるということを学習する。また、視野を広げることもできる。何度もこのようなことを繰り返すことにより、しだいに個性の尊重がなされていくだろう」。偶然にも、これと同じ意見を私も以前から抱いていて、それを「〈読む〉という行為を通して―国語教育がめざすもの―」と題した駄文に最近まとめたところ(詳しくは「授業研究の部屋」をご覧下さい)。同志を得た気分で思わずうれしくなってしまったのですが、その反面、鈍い痛みに似たものを胸の奥に感じたのも事実です。教育現場の変革は、絶対に必要なのです。
■2月8日(金)
またまた大学入試の過去問から。「……ある者は社会的、政治的事象とその直接的な描写をリアリズムと呼ぶ。いわゆる報道写真、戦争、社会的貧困や公害その他を素材にした〈告発〉写真などがそれである。またある者は自然の風景、樹木と風のそよぎ、海と落日、あるいは田園の生活、自然の中を生きる純朴なひとびとの姿をカメラにおさめ、それをリアリズムであると信じる。……一方には、戦争の残酷さでも社会の貧困でもよい、社会は政治はこうなのだというレディーメードの概念、思い込みがある。また一方には『美しい』自然、『素朴な』民衆という既成概念が前もって設定されている。それが世界の暗号解読格子として働く。この格子を真ん中にして世界と私は正確な線対称の位置、ともどもに安定した関係に置かれる。相互不可侵条約が結ばれる。こうしてひとたび暗号解読格子が設けられれば、世界は、現実はこの格子の型通りに改変され、わかりよく、消化のよいものに仕立て上げられる。それを見る者もまたこの格子を共有する。写真家―現実―読者(写真を見る者)の幸福な円環が成立する。/そしてこの関係を成立させるもののひとつに、どうやらリアリズムという呪文がある。……リアリズムとはあらかじめ設けられた暗号解読格子をあえて崩壊させようという方法的意識のことである。私と世界の間を遮蔽し、私と世界を予定調和の状態におく意識下の解読格子をいま、ここで世界と出会うことによって崩壊させ、世界と私をまっすぐに向き合わせようという方法としての意識を、その意志をリアリズムと呼ぶべきなのだ。/J・リカルドウがどこかで、おおよそ次のように書いていたのを思い出す。写実主義者たちは現実を見ようとはしない。彼らは意味としての現実を見るにすぎない。だが、リアリズムとは一本の樹木をいま、ここで、眺めることによって、いままで持っていた樹木という意味を眼の前でゆるやかに崩壊させてゆき、一本のいままで見たこともない樹をそこに見出すことだ、と。リカルドウは文学のリアリズム批判としてこの文章を書いた。しかしこの言葉はやはり写真についても多くのことを示唆している。意味としての現実、それは解読格子を通された、濾過された現実である。つまり現実ではない。概念としての現実である。旧態然としたリアリズムはこの概念に一点の疑いもさしはさみはしない。それは現状維持を指向する、まさしく保守的な意識である。……」(中平卓馬「決闘写真論」より)。本来の〈リアリズム〉とは、確かにここで筆者が述べているようなものなのでしょう。ただ、それはあくまで「方法的意識」あるいは「意志」というレベルでしか実現不可能のものであることも確かです。文学の営みを読み解く鍵も、この〈誤解〉にあるのかもしれません。
■2月3日(日)
今日もまた、3年生の特講で扱った過去問の中から気になる文章を。「政治から倫理にいたるまで、昨今、社会の基本的な価値観を論じる風潮が一般に衰えている。……ベルリンの壁がくずれて十年がたったいま、欧米でも価値観の勝敗は過去の事件となり、すでに決着のついた問題として忘れられかけている。人権も民主主義も当然の正義とされ、市場自由主義を含めて、だれもその根拠をあらためて論じようとしない。だから一部のイスラムやアジアの諸国がそれに疑義を唱えると、欧米人は常識を否定されたような驚きを覚える。驚きのあまり説得の努力さえ忘れて、いち早く、宿命的な『文明の衝突』に直面したと思いこみがちになる。/だが振り返ると、ソ連の崩壊は厳密な意味で価値観の勝負の結果ではなかった。……少数の知識人は精神の自由を説いたが、それが民衆を動かした決定的な力ではなかった。その証拠に解放後に貧困と混乱が襲うと、ロシア人は現にふたたび強い指導者を求め始めている。価値観の勝利というのはおもに西側陣営の、政治家と知識人の錯覚にすぎなかった可能性が強い。/だがあの『事実上(デファクト)』の政治的勝利は、先進国の知識人にそれ以上の錯覚を招いた。人権と民主主義は世界の『事実上の標準(デファクト・スタンダード)』であり、それについて説明責任はだれにもないという感覚が広がったのである。実際には、この政治思想はかつて近代の知識人が創造し、不断の説得によって実現した正義であった。それは数学的真実のような絶対普遍の理念ではなく、人類が歴史の経験のなかで証明してきた善であった。いいかえれば、それは歴史の新しい段階ごとに再認識され、説明されなおされるべき理念なのだが、今日の国際政治の場にそういう思想的努力は見られない。……」(山崎正和「地球を読む」より)。この文章を読むなり、目が覚めたようなすっきりとした気分になりました。最近の世の中でもやもやし続けていたものの本質が、ここには明解に文章化されているように思います。
■2月2日(土)
大学入試センター試験の後、学校では、3年生の希望者を対象にした特別講義が連日行われています。国語も毎日50分×2コマ、国公立の個別試験や私大の過去問を題材に演習を行っています。当然、教える私の方もいろいろな大学の入試問題に目を通すことになるのですが、そこで取り上げられている文章は、各大学の個性が出ていて興味深いものばかり。その中から一つ。「……『社会的ジレンマ』は、一人一人の個人ではなく、集団や社会全体が『わかっちゃいるけどやめられない』状態だと言えます。……筆者は今日も、渋滞の中をマイカーを使って大学まで通勤しました。渋滞に巻き込まれてイライラしながら、『皆が電車やバスを使って通勤してくれれば、こんな渋滞が起らなくて楽ができるのに』などと、虫のいいことを考えてしまいます。渋滞をなくすためには、皆がマイカーを使うのをやめて、よほどの事情がないかぎり電車やバスなどの公共交通機関を使えば良いことは誰でも『わかって』います。/しかし、筆者を含めて多くの人たちは、この『わかっている』ことをしようとはしません。……社会的ジレンマの場合には、一人一人の人間にとっては、『わかっている』ことをしたからといって、自分にとって望ましい結果が得られるわけではありません。一人の人間がマイカー通勤をやめてバスで通うことにしたからといって、道路の渋滞がなくなるわけではありません。それどころか、快適なマイカーの中ではなく混雑したバスの中で渋滞に耐えなくてはなりません。しなければならないと『わかっている』ことをした人は、そうしなかった場合よりももっとひどい結果に苦しむことになってしまうのです。……現代社会で私たちが直面する問題の解決が時としてきわめて困難になるのは、それが、一人一人が『やめられない』問題なのではなく、このような社会的ジレンマのかたちを取っているからです。……」(山岸俊男『社会的ジレンマ』より)。「社会的ジレンマ」を巧みに例示したものとしては、ギャレット・ハーディンという人が紹介した「共有地の悲劇」というのが最も有名だそうです。私はこの文章で「社会的ジレンマ」という言葉を初めて知りました。表現されずに意識化されないままであった現実の現象を、巧みに切り取った言葉です。
■2月1日(金)
田中外相の更迭が決定したのは1月29日の深夜。30日の朝目覚めたばかりの私はTVでこのニュースを知り、新聞で詳しく確認しようと、我が家に届いた「福井新聞」を手に取ってみたところ、それに関する記事は影も形もありません。深夜の出来事だったため、締め切りに間に合わなかったのだなと、気にもとめずに職場へ急ぎました。と、ところが……。〈ここからは職員室での朝の一コマです〉(教頭先生が職員室の新聞を見ながら)「ああ、さすがに『朝日新聞』は(大阪から搬送してくるので)更迭の記事は載ってえんの(載っていないね)」、(私、自分の机で仕事をしながら何気なく)「『福井新聞』にも載ってないですよ」、(教頭先生、「福井新聞」に取り替えてそれを見ながら)「ほんなことない(そんなことない)。『福井新聞』には載ってるわの(載っているよ)」、(私、驚いて)「えっ、そんなことないですよ。朝、家で見てきましたから」、(私、教頭先生が広げた新聞をのぞき込みながら)「……っ!」。……そうです。同じ「福井新聞」でも、たった10q程度しか離れていない我が家と職場とで、紙面の「版」が違っていたのです。職場に届いている「福井新聞」には、1面のトップに「田中外相を更迭」の文字が躍っていました。ちなみに、我が家にこの記事を載せた新聞が届いたのは、1月31日の朝のこと。「情報格差」ってこんな身近なところにもあったんですね。
■1月26日(土)
先日、誕生日を迎えた日野庵主人は、その日、いただいた招待券で(U君有り難う!)『オーシャンズ・イレブン』の試写会に行ってきました。日野庵主人、試写会というのは初の体験。開場時間よりかなり早めに映画館へ行ったつもりなのですが、すでにゲートの前には長い列が……。あらためて、映画の根強い人気を実感しました。近年、福井県内にも次々とシネコン・タイプの映画館が登場。一時は衰退しかけた映画産業も、今は新たな形で社会に溶けこんできているようです。
■1月25日(金)
1年生の漢文の授業で『論語』をやっています。その中の有名な一節、「学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや」を生徒に現代語訳させてみたところ、いきなりスラスラと訳し始めたのはよいのですが、次の瞬間、「えっ?」。「学びたいときに学びたいことを習うのは、何とうれしいことではないか」。思わず、今の時代にはこの訳の方がぴったりかもしれないなと、妙に感心してしまいました。
■1月20日(日)
ロンドンから2通目のメールが届きました。前回の彼女からのメールに「フラットメイト」という言葉があって、意味がわからず、質問のメールを送っておいたところ、その返事を書いてくれたのです。それによると、「フラットメイト」とは「同居人」のことだそうです。ロンドンの物価は恐ろしく高く、家を借りるのに、それなりのところだと月30万円以上の家賃。そこで、ロンドンでは一軒の家を何人かが共同で借りるのが普通になっていて、その人を「フラットメイト」と呼ぶわけです。現在、彼女も4人で一軒の家に住んでいるとか。いくら都会でも、日本ではあまりなじみのない現象です。やはり文化の違いっておもしろいですね。ますます「ロンドン見聞録」が楽しみになってきます。
■1月19日(土)
『英語教師 夏目漱石』を読了。文豪の夏目漱石とは違った、英語教師としての夏目金之助の一面を知って、目から鱗。漱石を通して読み取ることのできる明治の教育史は、今の私たちにこそ重大な意味を持っているのではないでしょうか。
■1月18日(金)
はたして日本の学校教育はどこへ向かおうとしているのでしょうか? 行き先もわからないまま迷走しているとしか言いようがありません。そもそも教育課程などというものは、検討が始まってからそれが形になり実施されるまでに何年もの隔たりがあるため、学校現場に導入されて軌道にのった頃にはすでに時代遅れ、という現象がこれまでにもあったのですが、さすがに今回は異常事態と言えるでしょう。新教育課程の根幹である週5日制や「ゆとり路線」の行き詰まりが実施を前にしてすでに露呈し、おまけに文部科学省自体が明確な方向も見つけられないまま世論に押されて、「学力低下」を防ぐための補習や宿題の増加を促すといった馬鹿げた方針を恥ずかしげもなく公表するといった状況なのですから……。戦後の日本の学校教育は、民主主義という大義名分を疑うことなく、すべてに平等な教育を目指して行われてきました。民主主義の理想がはたして内発的に生み出されたものなのか、結果としてそれがよかったのかどうかなどは別として、とりあえず、向かうべき方向は定まっていたと言えるでしょう。ところが、ここへ来て、学校教育が目指すべきものがはっきりしなくなってしまいました。今、学校教育が抱える問題の本質は、かなり深いところにあるのです。「民主主義」が幻想であり、日本が追い求めるものではないならば、何が日本の理想なのか? それを今、私たちは本気で考えなければならないところに来ているのでしょう。
■1月17日(木)
「つれづれ紀行」に「松山・道後温泉紀行」をUPして数日。実は、そこに書きそびれたことが二つあります。まず一つ目は、宿泊した旅館で能舞台を見学させていただいたこと。私たちが泊まった『大和屋本館』は、道後温泉でも歴史の長い旅館の一つだそうですが、館内に能舞台があって、希望者には解説付きで案内をして下さり、おまけに小鼓や大鼓まで打たせて下さるのです。日野庵主人、能を「観た」ことはありますが、実際に舞台に立ったり、面を手にとったり、小鼓や大鼓を鳴らしたことはなく、いずれも初体験。貴重な思い出となりました。二つ目は、地ビールのこと。道後温泉本館のすぐ前に、地元の料理とともに地ビールを出してくれるお店があって、そこで飲んだビールがけっこう美味しかったのです。ビールは、「坊っちゃん」「マドンナ」「漱石」と名付けられた3種類。私はいちばん渋い(?)「漱石」が気に入りました。
■1月15日(火)
話はまたまた7日の日記に遡りますが、例の日記をめぐる出来事から、ふと、『徒然草』の第109段を思い出しました。「高名の木登りと云し男」が人に指図して高い木の梢の枝を切らせていた際、高いところにいた時は何も言わず、軒の高さ程度まで下りて来てはじめて「用心しろ」と言葉を掛けた。それを見ていた筆者が不思議に思って尋ねると、男は、「目が回るような危険な所では当人が警戒していますので、こちらから注意はしません。過ちは必ず、容易なところになってから生じることなのです」と答える。この出来事を通して、筆者が「あやしの下臈(げらふ)なれども、聖人の戒めに叶へり」と締めくくるお話。高校の教科書などにも採用されている有名な場面ですが、「この話の主題(テーマ)は何か?」という質問に、多くの先生や研究者は、最後の「あやしの下臈(げらふ)なれども、聖人の戒めに叶へり」という筆者の感想を取り上げて、これが筆者の言いたいこと=話の主題だと指摘する人が多いそうです。以前から「変だな」と思っていた私、7日の日記に対するマキの抗議をきっかけに、このことを思い出したわけです。つまり、出来事を通しての筆者である私の感想は、あくまで「冬の朝は何が起こるかわかりませんね。要注意」なのですが、一読者であるマキは、その前の出来事の叙述の部分に読みの重点を置き、一つの失敗談(笑い話……笑われ話?)としてこの日記をとらえたということ。これ、どちらが正当で、どちらが不当だなんて言えませんよね。文章自体が、どちらともとれる構造を持っているのですから(もちろん、書いた当人である私も、そんなことまで考えて書いちゃいませんが……)。ま、こんな理屈は置いといて、マキと日野庵主人との亀裂が拡大しないことを祈ります。
■1月14日(月)
私とマキの共通の知人で、現在ロンドンに在住しているMさんからEメールが届きました。私たちが送った年賀状が、海を越えて何とかロンドンの彼女の手元まで到着したらしく、その年賀状でEメール・アドレスを知った彼女が早速メールを送ってくれたのでした。このホームページも見てくれたそうで、先日つれづれ日記で話題にした映画『ハリー・ポッター』のことや、今、イギリスでは『The Lord of The Rings』(日本では『指輪物語』と呼ばれています)が流行っていることなどを伝えてくれました。彼女が毎月発行しているメール・マガジン「ロンドン見聞録」もこれから毎回送ってくれるそうで、楽しみです。福井とロンドン。インターネットでやりとりしていると、実際の距離や文化の差がなくなってしまったかのように錯覚してしまいます。
■1月13日(日)
同居人のマキに7日の日記の内容が知れてしまい、「勝手に載せないでよね」と怒られてしまいました。やはりこのような出来事にも肖像権(!?)というものがあるのでしょうか。シビアーな問題です。……ところで、読書の方はというと、現在、『英語教師 夏目漱石』(川島幸希著、新潮選書)というのを読んでいます。松山行き以降、夏目漱石の教員時代にちと興味を持ち始めました。
■1月12日(土)
今週、勤務先の高校の新聞部(日野庵主人はそこの顧問をしています)が、1、2年生を対象にこの4月から実施される学校の完全週5日制についてのアンケートを実施しました。結果を見るまで私はてっきり、「土曜日の授業がなくなってうれしい」という意見の生徒がほとんどだと思っていたのですが、如何せん、生徒諸君の意識はそんなに単純ではありませんでした。もちろん、「週5日制になってうれしい」という意見は過半数を占めたものの、それと同時に、「学校での学習量が減るのは、受験を前にして不安」とか、「土曜日の授業がなくなると、どうせその分平日の授業が増えるのだからかえってつらくなる」などといった意見が数多く出されました。中には、「週5日制になって本気で喜ぶのは小学生くらいでしょう」という醒めた(?)意見もありました。平成14年度は、高校ではまだ新教育課程が実施されないまま週5日制だけが完全実施されるという特殊な期間になります。どの高校でも苦心して策を練っているところだと思いますが、当事者である生徒諸君も、私たち教員と同様に、あるいはそれ以上に問題意識を抱いていたのです。新聞部では、このアンケートをもとに取材等を行い、2月下旬には新聞を発行する予定です。
■1月7日(月)
明日から3学期がスタート。センター試験も目前に迫っています。今年はどうも雪が多い年のようで、毎日、天気予報を気にする日々が続いています。そんな中、今朝、日野庵では一大事件が……。なんと、マキがいったん乗り込んだ車からドアが開かずに出られなくなってしまったのです。気温が低かったため、車庫から車を外に出したとたんに、ドア回りの水滴が凍りついてドアがすべて開かなくなってしまったようです。非常事態(!?)に気づいた私が外から熱ーいお湯をかけて、何とか脱出することができました。冬の朝は何が起こるかわかりませんね。要注意。
■1月6日(日)
先日、NHKの何とか言う番組(「ためしてガッテン」だっけ?)のお正月特番で速読術のことをやっていて、以前から速読に興味を持っていた日野庵主人、しばし見入ってしまいました。それによると、速読術は訓練すれば誰でも体得できるとのこと。「今年の目標はこれだっ!」と意気込んだものの、さあてどうすればよいのやら。とりあえず、これから読もうとしている『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか』で挑戦してみよう。
■1月5日(土)
映画『ハリー・ポッター』を観て、先程帰ってきました。ついでに、遅ればせながら原作の『ハリー・ポッターと賢者の石』(松岡佑子訳)も購入。ちなみに、映画を観ながら思ったこと2点。1…あの百味ビーンズは以前誰かのお土産で食べたことがあるぞ〜。2…ホグワーツの番人ハグリッドは『クリスマス・キャロル』の2番目の霊と似てるぞ〜。失礼しました。
■1月3日(木)
年末の29日から31日、夏目漱石の小説『坊っちゃん』を片手に、松山の道後温泉を訪れました。私、日野庵主人にとっては、初めての松山、いや四国体験です。小説『坊っちゃん』には、この地に下り立った坊っちゃんが「……見るところでは大森位な漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。……」などと、第一印象を綴る場面がありますが、現代の松山市は人口47万人の四国第一の都市。また、小説の中には「……ぞな、もし」といった方言が頻繁に登場するため、私日野庵主人は、松山に一歩足を踏み入れればこれと同じ言葉が耳に入ってくるものと勝手に思い込んでいたものの、実際には松山の人々の言葉はほとんど標準語。タクシーの運ちゃん曰く、「今はそんな言葉はふつう話さないですねぇ」。失礼しました。でも、愛媛の松山と言えば、やはり、『坊っちゃん』の街というイメージが強いのは事実。実際、松山市内には「坊っちゃん列車」が走り、観光スポットでは現代版の(!?)坊っちゃんやマドンナが出迎えてくれるなど、松山自体が『坊っちゃん』のイメージにかなり頼っている部分が……。ただ、今回あらためて小説『坊っちゃん』を読み直してみると、あれっ、小説の中にはどこにも「松山」という地名は登場してなかったのです。で、思ったのは、私たちはどうも、『坊っちゃん』を読む際に、松山という場所にとらわれすぎているのではないか、ということ。『坊っちゃん』=松山の物語としてしまっているけれど、案外あれは東京(あるいは江戸)の物語ではないのかと、ふと考えています。小説の中に、より具体性を帯びて出てくるのは、むしろ松山ではなく東京(あるいは江戸)なのではないか。坊っちゃんが下り立ったのは、あくまで「松山」ではなく、「大森位な漁村」だったのですから……。『坊っちゃん』の新たな読みがここから始まるかもしれません。
■2002年1月1日(火)
皆さん、あけましておめでとうございます。おかげさまで日野庵も昨年末に3000アクセスを突破。日野庵主人も同居人のマキも笑顔で新しい年を迎えております。今年もまたまたマイペースで頑張っていきたいと思いますのでどうぞよろしく。