つれづれ日記 2003.5-10
■2003年10月8日(水)
陰暦9月13日の夜の月を「栗名月」あるいは「豆名月」と呼ぶことを、日野庵主人、最近になって初めて知りました。実は、今夜がその陰暦長月の13日にあたります。いつ頃からこのような呼び方をするようになったのかは調べてみないとわかりませんが、今夜も空を見上げてみると、冷え冷えとして澄んだ空気の中、月の光が凛として冴えわたっています。収穫の喜びとともに、この時季ならではの凛とした月を愛でる習慣が生まれたのも、なるほどと納得できます。望月は中秋の名月に譲り、長月の名月を十三夜としたのにも、日本的な美観と風流心が感じられます。ちなみに日野庵の畑でも、さつまいもの収穫が無事に終わりました(今年はイノシシの被害に合うこともなく、立派なさつまいもがたくさん収穫できました)。「栗名月」ならぬ「いも名月」を味わうことができそうです。
■2003年9月14日(日)
またまた3ヶ月ぶりの更新となってしまいました。この間に、一大イベントであった第27回全国高等学校総合文化祭・福井大会も何とか無事に終了し、新聞部門の生徒たちとともに大会速報を担当した日野庵主人も、ほっと一安心です。1万9000人もの高校生が全国から福井に集ったこの大会。ふたたび福井にめぐってくるのは40年以上後になります。参加した地元福井の高校生たちにとっても思い出に残る夏となることでしょう。
■2003年6月1日(日)
先週の土・日は、全国大学国語教育学会の春季大会に参加するため、東京は早稲田大学へ。シンポジウム「これからの文学教育」が、どのような内容になるかと期待して参加したのですが……。やはりシンポジウムという形式、しかも短時間で議論の内容を深めるというのは難しいことです。ただ、これを機会に「文学教育」、あるいは「文学」そのものを正面から見据えた取り組みが活発化するかもしれません。今回はほとんど時間がなかったので、ひさしぶりに訪れた早稲田近辺を散歩しただけで終わってしまいましたが、また時間ができたら「東京を歩こう会」を実施したいものです(笑)。
■2003年5月12日(月)
入江泰吉、土門拳という写真家の名は、さほど写真に興味のない方でもどこかで耳にしたことがあると思います。この二大巨匠の作品を同時に展示するという初の写真展「入江泰吉・土門拳二人展」が、日野庵からさほど遠くない今立町の芸術館で開催されていて、日野庵主人も同居人のマキと一緒に昨日見に行ってきました。入江泰吉は奈良市生まれ。一方の土門拳は山形県の酒田市生まれ。入江が生まれ故郷である奈良の風景や仏像を50年近くの歳月ひたすら撮り続けて「大和路」のイメージを人々に広めていったのに対し、土門は人間や社会などさまざまなテーマに取り組んでその鬼才を発揮すると同時に、たまたま訪れた室生寺のたたずまいや仏像に触発され、全国の寺院を巡って数々の作品を残しました。この二人展のすばらしいところは、まったく性格の違う二人の写真家が同じモチーフで撮影した作品を目の前で見比べることができること。例えば、再建される前の薬師寺西塔の心礎(芯礎とも。塔の心柱を受ける礎石。)をモチーフとした作品では、入江が心礎の窪みにたまった雨水に映り込んだ東塔を幻想的に撮影しているのに対し、土門は撮影の際に雨水を徹底的に汲み出してしまい、石としての心礎の造形そのものをダイナミックに撮影しています。仏像にしても、入江は仏像全体を一つの風景のようにバランスよく扱っているのに対し、土門はむしろ造形としての部分に迫り、そこに何とも言えない緊張感を漂わせています。マキはどちらかというと入江のバランスのとれた柔らかな作品に好感を持ったようですが、日野庵主人は、土門の「鬼気迫る」作風に興味を持ちました。ちなみに今立町は全国的にも知られる和紙の里。今回入場券と一緒にいただいた作品案内も、上品な和紙を使ってありました。
■2003年5月5日(月)
この連休は、ほんとによい天気でした。日野庵主人は、たまった仕事を片付けるために家にこもりがちの三日間でしたが、それでも、時折縁側に出て初夏のすがすがしい空気を呼吸していると気分も爽快になります。で、今日はそんな中で、合間を見つけて読み始めた本を一冊、書き留めておきます。それは多田富雄著「免疫の意味論」(青土社)。日野庵主人が「免疫」などという分野になぜ興味を持ったか。これを話すと長くなるのでやめておきますが、一言で言うと(実は一言で言えてしまう;笑)、文学における一人称「私」の意味や、人間の認識(意識)について考えていたら、アメーバ的な思考の移動によって、その触手の先端がここにたどり着いてしまったというわけです。免疫学は、医学においては臓器移植の進歩とあいまって研究が進められてきた学問のようですが、実はこの免疫学は「自己とは何か」という一見すると「ちょー哲学的」な課題について、まさに「超・哲学的」に切り口を与えてくれるものでもあります。今日の学問は、それぞれの専門分野がさらに細分化し、深化していっていますが、その最先端の部分では、領域を超えた融合が可能となるようにも思います。
■2003年5月4日(日)
高校の国語の授業では、今年もぼちぼち新入生に漢文を教え始める時期になってきました。で、この頃になると毎年思うのが、漢文の訓読や書き下しの方法を、もう少しわかりやすく改定すべきではないかということ。「不易流行」と言いますが、漢文の世界を生きたものとして後世に伝えていくためには、時代にあった手直しが必要なのではないかと思うのです。と言っても、漢文のきまりなんていうものは、特定の誰か(あるいは機関)が決めたものではなくて、あくまで昔からの習慣が固定化して拘束力を持ってしまったものでしょうから、どこかに申し立てをするわけにもいきません。じゃあ、勝手に個人で簡略化して生徒に広めていけばいいかというと、無論、そんなわけにもいきません。先日も同僚の先生と、「有志を集めて、日本相撲協会ならぬ日本漢文協会でも組織しましょうか」などと笑い話をしていましたが……。もしかすると、私が知らないだけで、このようなことは既に試みられているのでしょうか。
■2003年5月3日(土)
おひさしぶりです。ほぼ半年ぶりの更新を機に、日野庵のデザインを少しばかりリニューアルしました。あっさりイメージに仕上げてみたつもりですが、いかがでしょうか。