つれづれ日記 2004.1-6


2004年6月4日(金)

 2年生の現代文の授業で、高階秀爾さんの「日本人の美意識」という評論文(1970年、雑誌「国文学」に発表)を読んでいます。そこで興味深い出来事がありました。授業の中で私は生徒たちに、「私の美意識」という題で、自分はどんなものを「美しい」と感じるか、自分の美意識を振り返って書いてもらおうとしました。ところが、ここでちょっとした混乱が生じてしまったのです。私がどうしたのかと思って生徒の一人に聞いてみると、「『美しい』という言葉はふだんは使わないし、何かを見て『きれい』と感じることはあっても、『美しい』と思うことはない」と言うのです。高階さんの文章を読んでいるときには、生徒たちも、筆者の言う「美意識」あるいは「美しい」という言葉を別段気にすることなく受け入れていた(と思われる)のですが、いざ自分の「美意識」や「美しい」と感じるものについて考えてみると、どうしても違和感を感じるらしいのです。つまり、「美しい」という言葉や、「美しい」という言葉が表現するような意識が、彼(彼女)らにとって日常とは縁遠い存在であるということなのです。はたしてこれはどういうことなのか。『翻訳語成立事情』(岩波新書)の中で、柳父章さんは次のように書いています。「日本的『美』意識の特殊性とか、西欧の『美』と日本の『美』との違い、というように、『美』を前提としてとらえてはならない、と私は考える。少なくとも基本的な態度として、一つの普遍的な観念としての『美』を先に立て、その特殊な場合として日本的『美』がある、という思考方法は間違いである、と私は考えるのである」。たしかに、「美しい」という言葉を私自身も日常的には使いません。「きれい」という言葉がより現実的なリアリティーを持っているのに対して、「美しい」という言葉はかなり抽象的で実体がつかみにくいように思われます。また同じように、古典語の「うつくし」が、「小さいものや弱いものへの愛情」といった具体性をおびた言葉であったのを考えると、現在の「美しい」という言葉との間には埋めることのできない隔絶があるようにも思え、単に「美しい」が「うつくし」の延長線上にある言葉とは言い難いように思うのです。


2004年6月2日(水)

 昨夜、ホタルを見つけました。帰宅して何気なく日野庵の前の道路を歩いていると、ほぅっと仄かに光るものがあります。最初は目の錯覚か、はたまた仕事疲れでとうとう幻覚まで見るようになったのか(笑)と思いましたが、じっと目を凝らして見ると、それはまぎれもなくホタルの光。ここ十年近く(もしかするとそれ以上かもしれません)、日野庵の近所でホタルを目にすることのなかった私は、思わぬ出来事にうれしくなりました。小さい頃、父親にちょっと来て見ろと言われ、庭の暗闇の中にホタルの仄かでゆっくりとした明滅を見つけたときと同じような、無邪気な喜びです。近くの小さな川が生活排水などで汚れたためか、長年見ることのできなかった貴重な光が、川の浄化とともに再び復活してくれたのかもしれません。大切にしたい光です。


2004年4月25日(日)

 花水木が日野庵で初めての花を咲かせました。どうやら無事にこの場所に根付いてくれたようです。日野庵主人が以前に勤務していた鯖江高校にも、正門の両脇に花水木の並木があって、毎年この時季になると白と薄紅の花が若葉の緑に映えて爽やかな印象を与えてくれていました。最近、街路樹としても見かけることの多くなった花水木。私はとても日本的なイメージをこの樹に抱いていたのですが、調べてみると、原産は北アメリカ。1909(明治42)年から数年にわたって当時の東京市長であった尾崎行雄がアメリカ合衆国のワシントン市に桜の苗木を寄贈した、その返礼として1915(大正4)年にアメリカ合衆国から東京市に贈られたのが日本の花水木の最初だそうです。花水木は、桜とともに、日本とアメリカの親善の象徴だったわけです。根付いたばかりの我が家の花水木は、これからどのような世界を見ていくことになるのでしょうか。


2004年3月29日(月)

 昨日の日曜日、庭に記念樹を植えました。子どもが誕生した際に武生市から記念樹贈呈のハガキをもらい、申し込んでおいた花水木の苗を、先日、市内の万葉菊花園(ここで栽培された菊が、毎年秋に開催される武生菊人形に展示されます)まで受け取りに行ってきたのです。日野庵主人、これまで庭いじりなどにほとんど興味がなかったもので、苗と一緒にいただいた植え方のマニュアルを見ながら、腐葉土を買いに走ったり、土を掘りおこしたり四苦八苦。はたしてこれで本当に根付いてくれるのだろうかと、一抹の不安を残しながら作業を終えたのでした。


2004年2月11日(水)

 「型にはまってしまってはいけないなあ」と、改めて思います。いや、型にはまること自体が決して悪いとは考えていません。世の中ではややもすると「型にはまる」ということが定めて悪いことのように言われますが、私自身は、「型にはまる」ことの意味も考えずに一方的にそれを否定して安易に「自由」を唱えていることの方がさまざまな意味で「悪」であると考えます。人間にとって「型にはまる」ことは絶対に必要なことなのです。ただ、かと言って、その「型」に安住してしまう(と言うか、惰性でそこに居座ってしまうと言った方が適切かも)のはいけません。「学校」という空間で、「教師」という立場で、「授業」という場で、「生徒」という対象に、「国語」を「教える」。この構図は、ややもすると、良くない型として自分の身に定着してしまいます。会社員であれ、公務員であれ、組織の中での仕事というのは何にしてもそうかもしれませんが、常に自分自身でその組織を相対化し、自分の受け持っている仕事の意味を客観視する意識を持っていないと、惰性という甘い罠に引きずり込まれてしまいます。強い意志を持たなくては、と思います。


2004年2月10日(火)

 先日まで、1年生の授業で「奥の細道」を扱っていました。教科書(筑摩の「国語総合」)には冒頭部分のほか、「白河の関」「平泉」「立石寺」が載っていますが、それが一通り終わった後、せっかく福井に住んでいるのだからと、授業の最後に福井に関係する部分を生徒と一緒に読んでみました。で、読みながらふと私の脳裏をよぎったこと。――「まずい。『日野庵』の文学散歩、いまだに工事中だった……」。そうなのです。このHPを開設した当初から、「文学散歩」に「『奥の細道』の中の福井」のページを設けておきながらも、いまだに工事中……。教室で『奥の細道』を読みながら、今年こそは芭蕉の跡を取材しようと、(ひそかに)心に誓ったのでした。ちなみに今年2004年は、芭蕉生誕360年にあたります。


2004年2月9日(月)

 この「日野庵」に先月、新たな生命が誕生しました。このHPに登場するのはまだまだ先のことと思われますが、おかげさまで毎日元気に(日本語における最もポピュラーな擬音語で書き示すならば)「オギャー、オギャー」と泣いて(むしろ「鳴いて」と表記した方が正確かもしれない)おります。「日野庵」の新たな住人として、よろしくお願い致します。


2004年1月1日(木)

 新年とともに新たなURLでのスタートとなりました。昨年は学校関係のさまざまなイベントに追われた1年でした。今年は自分自身の生活のペースを大事にして、もう少し自己研鑽に励みたいものだと思っているのですが……。とにかくは、日野庵を今年もよろしくお願いします。


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