川端文学研究会第27回大会研究発表

第六次「新思潮」の川端作品をめぐって―『ある婚約』『招魂祭一景』『油』『一節』―

  三川智央

 

はじめに――研究の目的

文学史における川端康成の初期作品の評価と位置付けは、概ね、「新感覚派」という文壇的枠組みが前提となって行われ、それが定着している。しかし一方では、この「新感覚」という概念に縛られるあまり、個々の作品への接近が妨げられ、すべての作品が一元的イメージの中で評価されてきたことも、また、否めない事実である。絶対視されてきた〈枠〉を取り去ることで、川端の個々の作品に新たな地平を見出し、再評価することはできないか。あるいはまた、その再評価を通して、大正後半の文学をめぐる状況を、逆に作品の側からとらえ直して行くことはできないだろうか。

本発表では、川端が第六次「新思潮」に発表した四つの作品(『ある婚約』『招魂祭一景』『油』『一節』)を検討することで、この試みを実践してみたい。

 

1 『ある婚約』について

@発表及び評価

第六次「新思潮」創刊号(大10・2)に発表。川端自身が巻末の「同人雑記」の中で「何分初号に出した私の作が作なので、気がさし言葉少なに差控へてゐずにはゐられませぬ」「お前あんな作を発表しててもいい気なものだなと、具眼者に笑はれさうですから」などと弁解がましいことを述べ、実際、その言葉の通りに発表後の反響もほとんどなかった。

その後の研究においては長谷川泉氏がこの点について、「ごくすなおな描き方である」「そこには機智もない」「川端にとって『ある婚約』は、川端的ではないといえるのだ」(『川端康成作品研究』昭44・3)と言及。

 

A〈語り〉の構造

読者から「あんな作」と言われるのではないかと作者自身がひけめを感じざるを得なかった事態の背後にあるものは何か。

 

毎晩の通り文机を蚊帳の中に持込んだものの、床の上に坐つたまま、庭面に黝く茂つた夏萩をぼんやり眺めてゐた。夜はもう初秋の気が漂うてゐる。秀夫と小夜子と、彼と小夜子と、これが重治の問題だつた。自分が燃焼すればいいのだな、自分の情熱だなと、何時もながら又事新しく重治には思はれるのだつた。――

語り手は、語り手独自の視点を放棄しつつ、登場人物の一人である重治の意識に寄り添う形で〈語り〉を開始。ここで提示された小夜子(重治の従妹で、父母のいない重治は学校の長期休暇ごとに彼女の家に世話になっている)をめぐる「重治の問題」は、重治を一定の視点人物とするパースペクティヴのもとに構築され、展開されていくことになる。

 

……あのマントの中でも小夜子の素直な諾ひを認めることが出来た。自分の心一つだと思ふと、軽い苛責で良心が痛んだ。(中略)重治の憧れてゐる恋と小夜子に対する心とは遠く距つてゐた。夢見てゐる女性と小夜子とは遥に異つてゐた。小夜子と恋を持続して結婚する場合と、小夜子が他の男と結婚するまで冷かに押通す場合と、二つを空想してみた。結婚と思ふと、度毎に、己もたうとうあきらめてか、といふ考が先立つた。(中略)でも、秀夫が「小夜さんなんか、どんな境遇に置かれても、どんな男と結婚して複雑な家庭にゆく事があつても、屹度皆から可愛がられて幸福に暮せる性質ですね。」と云つたことがあつた。重治にも十分それは分つてゐた。小夜子の父の留守の時なぞ、二人きりで二三時間も静に話合つてゐると、素直で人懐つこい小夜子がたまらなく好きになつた。重治の心までが自然微笑んで来るやうで、黙つて聞惚れてゐることがあつた。

小夜子を始めとする重治以外の登場人物の意識や行動は、あくまで重治という感覚の主体を通して秩序付けられ、読者はその主観的世界の中で安定した〈読み〉を生成。

 

*このような主観的世界の安定は、〈他者〉としての他の登場人物の意識や行動、あるいは〈他者〉との関係から生じる視点人物自身の〈自意識〉など、物語内容に内在する要因によって、根本から覆される危険性をはらんでいる(冒頭で暗示されていた小夜子の秀夫への思いや、小夜子との結婚を考えながらもそこに自分の本心を見出せない重治の自己意識などは、これらが発展することによって、重治の主観的世界を揺るがせ崩壊させる可能性を持っている)はずだが、この小説では、小夜子の父である叔父から将来の話をしんみりと持ち出され、「突然強大な力に掴まれ」たように感じながらも「その力の保護に身を委ねたやうな安心」を覚えた重治が、小夜子との婚約を素直に決意することで、これらの危険要因は表面化することを免れ、重治を視点として構築された主観的世界は破綻することなく維持される。

 

B〈私小説〉との相似

『ある婚約』の構造 → いわゆる〈私小説〉と呼ばれる作品の多くと構造的に相似

○志賀直哉『城の崎にて』(大6・5)

→語り手は登場人物である「自分」にぴったりと寄り添い、終始一つの視点からのみ〈語り〉を行なう。そして、読者はおのずと「自分」という感覚主体を通して秩序付けられる主観的世界に同化しつつ〈読み〉を生成。

〈私小説〉の多くが、疑われることのない非常に強固な主観を構築しているのに対して、『ある婚約』では、主体である重治は小夜子との結婚をめぐる自己の感覚そのものに〈揺れ〉を意識し、叔父の「強大な力」による「保護」に身を委ねて「婚約」という終結を得ることにより、辛うじて主観の安定を維持できているに過ぎないという主観の強度の違いはあるものの、基本的な作品構造という点では、『ある婚約』と〈私小説〉は同一平面上にある。

 

Cパラダイムとしての〈リアリティー〉

〈私小説〉というジャンルに組み込まれてきた作品群と『ある婚約』が、共にそこに含まれているであろうパラダイム(=〈語り〉と〈読み〉の両方に関わる言語的表象システム)が、この状況の背後に存在しているのではないか。

○二葉亭四迷『あひびき』(明21)

秋九月中旬といふころ、一日自分がさる樺の林の中に座してゐたことが有ツた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま暖かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合ひ。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思ふと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、無理に押し分けたやうな雲間から澄みて怜悧し気に見える人の眼の如くに朗かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けてゐた。(中略)何ン時ばかり眠ツてゐたか、ハツキリしないが、兎に角暫らくして眼を覚まして見ると、林の中は日の光りが到らぬ隈もなく、うれしさうに騒ぐ木の葉を漏れて、はなやかに晴れた蒼空がまるで火花でも散らしたやうに、鮮かに見渡された。雲は狂ひ廻はる風に吹き払はれて形を潜め、空には繊雲一ツだも留めず、人気中に含まれた一種清涼の気は人の気を爽かにして、穏かな晴夜の来る前触れをするかと思はれた。自分は将に起ち上りてまたさらに運だめしをしやうとして、フト端然と坐してゐる人の姿を認めた。眸子を定めて能く見れば、それは農夫の娘らしい少女であツた。

『ある婚約』の言説と比較してみると、両者は発表年において三十年以上の隔たりがあるにも関わらず、〈語り〉の構造としては、まさに同じ平面にある。

 

*『あひびき』は、自然描写と言文一致体の新鮮さによって、当時、島崎藤村・国木田独歩・田山花袋・徳富蘆花・蒲原有明を始めとする多くの文学青年たちに愛読され、影響を与えた。前田愛氏は『近代読者の成立』において、『あひびき』を読んだ当時を回想するそれらの人々の言葉を引用しつつ、「読者は他人を交えることなく孤独で作者と向い合い、かれが囁く内密な物語に耳を傾ける。このような秘儀に参与する資格を許された読者こそ、『近代』の小説読者ではなかったろうか」「それは漢文崩しの華麗な文体のリズムに陶酔して政治的情熱を昂揚させる書生達でもなく、雅俗折衷体の美文を節面白く朗読する家長の声に聞き入る明治の家族達でもない。作者の詩想と密着した内在的リズムを通して、作者ないしは作中人物に同化を遂げる孤独な読者なのである」と述べ、近世以来〈音読〉中心であった読書のパラダイムが、『あひびき』という作品がきっかけとなって〈黙読〉という新たなパラダイムへとシフトして行く過程をみごとに指摘。ここで前田氏が指摘した〈読書パラダイムの変化〉という出来事は、おそらくは、〈語る〉ことと〈読む〉ことの両方に作用する文化的制度としての〈リアリティーの変化〉という新たな地平によって再認識されるべき。

 

D〈リアリティー〉の変容

○近世的な文化システムによる文学作品

→語り手が登場人物とは異なる独自の位相にあって、作品世界内に人格的に固定されることのない不特定の視点から〈語り〉を行なう構造。 

読者(耳で聴く場合も含めた受容者)は語り手に応じる聞き手の立場に言説を通して引き込まれ、物語内容の〈リアリティー〉は、そこに生じる伝達行為自体によって保証。

 

○『あひびき』を同時代的に愛読した青年たち

→言説をたどることで、作中の「自分」に同化して〈語り〉を行なう語り手と同じ位相に引き込まれ、作中の「自分」の感覚を通して形作られる主観的世界を、まるで自分自身で感じ取った〈現実〉の世界であるかのようにとらえ始める。

 

*前田氏の言う「作者ないしは作中人物に同化を遂げる孤独な読者」とは、このような表象システムを受け入れ、特定の作中人物を唯一の視点としたパースペクティヴによって構成される世界に、絶対的な〈リアリティー〉を感じることのできる読者。従来の文化システムを相対化してしまう新たな〈リアリティー〉のパラダイムの発生をここに見ることができる。

川端自身が読者の批評を気にしてひけめを感じざるを得なかった背後には、このような〈リアリティー〉の形式に〈現実〉を認識できないような状況が、当時の読者に生じていたのでは。

 

2 『招魂祭一景』について

@発表及び評価

第六次「新思潮」第二号(大10・4)に発表。「『招魂祭一景』は当時の同人雑誌の作品としては、相当いいものと認められたのであつた。この作品が評判になつたために、私は知己を得、原稿が売れる糸口になつたと云つてもよからう。私には記念すべき作品である」(「『招魂祭一景』に就て」昭2・2)と川端自身が後に振り返っているように、前作『ある婚約』とは対照的に、発表と同時に多くの人々から注目された。川端は当時の日記に、「『招魂祭一景』を多少とも賞讃せる文壇人名、直接又は間接に私の耳に入つた人名」として、「菊池寛氏、久米正雄氏、水守亀之助氏、加藤武雄氏(秀才文壇誌上)、南部修太郎氏、中村星湖氏、小島政二郎氏、佐佐木茂索氏、加島正之助氏、万朝〔報〕氏」(〔 〕内引用者記入)と書き付けている。

従来の研究はこの点を、「表現技法上の新風が認められた」のであり「この作品を新感覚派登場後に引きさげてみても、表現技法上の点では遜色がないと思われる。『招魂祭一景』が文壇に認められた認められかたは、きわめて新感覚派的な認められかたであったことに注目すべきである」とする長谷川泉氏の論及(「近代文学史における川端康成」昭46・4『川端康成の人間と芸術』)に代表されるように、「新感覚派」現象の先取りとして解釈。

 

A同時代評の検討

『招魂祭一景』が注目を得た要因はどこにあるのだろうか。問題は、この現象を新たにどのような地点からとらえられるか。

 

○菊池寛の批評

川端の日記に、「菊池寛氏を訪ねる。『招魂祭一景』相当いいと思ふと褒められる。初号よりずつといいとのこと。(中略)僕のは、久米氏に昨夕会つたら久米氏も一寸感心してゐられた由、〔菊池氏は〕或る所を声立てて読んだりして、ヴイジユアライズの力に感心して下さつた。二氏とも感心して下さつたらしい。文章もよしとのこと」(〔 〕内引用者記入)という記録がある。

○「時事新報」文芸欄合評(大10・4) 

「『新思潮』は第二号をよんだきりだが、川端康成氏の『招魂祭一景』に一番心を引かれた。描写なんかも自由だし、或うんだやうな曲馬乗の女の心持も出てゐる」との言及。

「自由」な「描写」による「ヴイジユアライズの力」とは、すなわち、〈語り〉の構造と、その〈読み〉を通しての〈リアリティー〉の在り方の問題。

 

B〈語り〉の構造

 

騒音がすべて真直ぐに立ちのぼつて行くやうな秋日和である。/曲馬娘お光はもう人群に酔ひしびれてゐた。乗つてゐる馬が時々思ひ出したかのごとく片脚を上げなぞする度に、ばらばらに投げ散らかされた手足が、ふつと一所に吸ひ寄せられて、生き物らしい感じを喚びもどすが、直ぐ瞳の焦点を失つてしまふ。――でも、ふと、遙か遠くの百姓爺の顔がはつきり目にとまつたり、直き前に立ちどまつた男の羽織の紐の解けてゐるのが妙に気になつたり、それさへ夢のうちのことのやうでもあつた。/お光には、靖国神社の境内だけが気違ひめいて騒がしく、その代り世の中がぴたと静まり返つてゐるとも思へる。数知れぬ人の頭が影絵に似て音なく動いてゐる気もする。/馬の背のお光一人、寂しい所に置き残されて、泣き出すべきなのをぼんやり忘れてゐたやうでもあつた。

冒頭の一文は、この作品の表現の斬新さを示す好例として引用されてきたが、作品の構造を考える上で重要なのは、むしろ、その斬新な表現(この場合、巧みなメタファー)を可能にしている〈語り〉の位相。冒頭の一文で、語り手はどのような位置を確保しているのか。

この場面の唯一の登場人物であるお光の視点ではないかと疑ってみるが、「人群に酔ひしびれて」いるお光に「秋日和」を巧みなメタファーを交えて意識する余裕はない。読者は、作中人物とは全く異なる視点から〈語り〉を行なおうとしている何らかの存在(=語り手)を想定する必要が。メタファーというものが本来的に説明的な要素と切り離せないものである点からも、その語り手は明らかに〈語り〉の受容者としての読者を意識している。

 

『招魂祭一景』の冒頭は、独自の位相で作中の人物に支配されない視点を確保する語り手と、それに応じる聞き手という関係を〈読み〉の中で作り出す構造を有している。

 

続く言説はどうか。既に佐伯彰一氏が、「曲馬娘お光の孤独な感覚の流れに読者はおのずとひき入れられてゆき、祭りの人混みの昂奮と馬を使った曲芸の緊張と陶酔がわが事のようにじかに迫ってくる」として「お光に即した一人称性」を指摘している(「川端康成・横光利一集解説」昭46・7)ように、「人群に酔ひしびれ」て外からの刺激によってかろうじて「生き物らしい感じを喚びもどす」状況は、確かにお光の内面の有様であり、語り手はお光の視点に同化して、そこから〈語り〉を行なっているようにも思える。しかし、この一体感が持続することによって、お光を視点とする安定したパースペクティブが〈読み〉を通して構成されてゆくかというと、決してそうとは言えない。

「馬の背のお光」を対象化し、「寂しい所に置き残されて、泣き出すべきなのをぼんやり忘れてゐたやうでもあつた」と語る視点は、明らかにお光とは異なる語り手の位相に立ち戻っている。その後もこの作品の語り手は、まるでお光の視点に一体化しようとする読者を妨げるかのように、巧みなメタファーや大げさな説明、あるいは推量表現などによって、作中人物の意識や感覚とは離れた〈語り〉の存在そのものをアピールしようとする。

 

『招魂祭一景』の言説は、「一人称性」を形作るどころか、むしろその「一人称性」を崩すような〈語り〉の在り方によって支えられている。

 

C異質な〈リアリティー〉への移行

 

――お光の日々、現の身が哀れに荒めば荒むほど、夢は美しくなりまさる。でも、もう夢と現との掛け橋なんぞ信じはしない。そのかはり、望み次第の時に、天馬に跨り空を夢へ飛ぶのであつた。……

「全文を描写でつづる中に、ここだけ、いささか鏡花調めいた美文」が突如として現れた(酒井森之介「『招魂祭一景』の作品構造」昭52・12)わけではない。

 

『招魂祭一景』は、(従来「新感覚派」的な斬新な表現と解釈されたり、単なるノイズとして誤解されてきた)巧みなメタファーや大げさな説明、あるいは推量表現などを通して、常に読者に〈語り〉を意識化させることで、語り手と聞き手という伝達の回路を形成し、その伝達行為自体に語られる出来事の事実性(リアリティー)を託している。

 

*『招魂祭一景』の言説は、近世的な〈語り〉の系譜に近いものと考えられる。その意味では、むしろ講談や無声映画の弁士の〈語り〉との関係が興味深い。原善氏は「『招魂祭一景』論」(「解釈と鑑賞」平3・9)において、「それ以前の小説が主眼としてきた、心理を内面に立ち入って描写する在り方とは異なった、心理を外面から表層をもって描こうとする」表現と指摘しながらも、それを「主体と客体とを一体化させる在り方に通じる」とし、「新感覚派理論を先取りして実践した作品」と結論付けている。また、『川端康成の世界4』(平11・5)には、十重田裕一氏「川端康成と映画」があるが、先の点に触れた考察はない。『伊豆の踊子』にも「女弁士が豆洋燈で説明を読んでゐた」との一節があるが、当時の映画文化に映像とともに存在する〈語り〉について、より注目する必要があるのではないか。

 

D〈読み〉の形成

そのような〈リアリティー〉の形式によってどのような〈読み〉が実現されるのか。そこではお光の感覚や意識と、その感覚や意識によって形成される世界は相対化され、〈語り〉によって形成される世界が逆にお光の状況を規定することになる。

 

*原善氏は「『招魂祭一景』論」(前出)において「大人と子供の中間に位置する、両義的で不安定なお光像」と「不安定に揺れ動く」お光の心を指摘している。先程引用した言説においては、お光は〈現〉と〈夢〉、あるいは〈哀れさ〉と〈美しさ〉という二項対立の狭間に置かれている。そして、お光をめぐる二項対立はこれだけではない。〈騒音〉と〈静けさ〉、〈動〉と〈静〉、〈緊張〉と〈弛緩〉、〈意識〉と〈無意識〉、〈大人〉と〈子供〉、〈お留〉と〈桜子〉、〈曲馬娘〉と〈世間尋常の女〉、……それらは互いに絡み合いながらさらにイメージの増殖を続け、最終的にはその対立項の中心に、決していずれの極にも収束することのないお光を生成してゆく。

 

日毎幾度となく巧みに美しく繰り返すこの曲芸が、ほんとに出来ないのか、我儘から飛びたくないのか、この間からよくないからだに三日間の招魂祭の疲れが一時に出て自分が大病なのか、お光には何も分らなくなつた。

お光自身には、自己の〈揺れ〉を秩序立てて認識することは不可能。落馬事故はこのような〈揺れ〉が最高潮に達した時、それを象徴するための必然であるかのように言説化される。

 

『招魂祭一景』が『ある婚約』と同じ〈語り〉の構造をとっていたとするなら、語り手は〈揺れ動く〉お光の感覚と意識に翻弄されながら消失し、作品はその輪廓さえもわからない朦朧としたものになっていたかもしれない。このことは同時に、『ある婚約』や『あひびき』が属している〈リアリティー〉の形式の、一つの限界を暗示している。作中人物への同化が困難でありながら、しかもそこに〈事実〉としての作品世界を生み出すためには、おのずと別の〈リアリティー〉への移行が必要になってくる。『招魂祭一景』で実践されたのが、その形式からいえば決して新しいとは言えない、語り手と聞き手との伝達行為そのものに出来事の事実性を求める〈リアリティー〉の形式だった。

それが『招魂祭一景』の評価に結び付いたということは、当時の第六次『新思潮』の読者にとって、『ある婚約』で実践されているような〈リアリティー〉の限界が、何らかの形で意識され始めていたということ。

 

3 『油』について

@発表及び評価

第六次「新思潮」の第四号(大10・7)に発表。作者である川端自身が後に「孤児としての私の私小説と見るべきであらう」(『川端康成全集・第二巻』「あとがき」昭23・8)と述べ、これまでの研究においても、中村光夫氏が「小説というより作者の生のままの自己省察であり、氏の意識の構造から、ひいては生きる態度を端的に語ってい」て「氏が薄倖な少年期の感傷から脱して一個の大人に成熟する転機が、直截に述べられている」(『論考・川端康成』昭53・4)と規定しているように、〈孤児〉としての作家「川端康成」を裏付ける自伝的資料として扱われてきた。

 

A〈語り〉の構造

『油』は、〈小説〉というジャンルに分類されながらも、実際には〈孤児〉という生い立ちを背負った作者自身の心境のあるがままの〈告白〉として読まれ、解釈されてきた。『油』が(このような解釈の前提となるべき)強固な事実性を獲得できたのはなぜか。

 

父は私の三歳の時死んだ。翌年母が死んだ。両親に関する直接の記憶は全くない。母はその写真も残つてゐない。ところが半年程前、東京に住む伯母からこんな話を聞いた。――父及母の死の前後、私は家の賑かになつたのを子供らしく喜んでゐた。唯、佛前の鉦の音を非常に厭がつた。泣きむづかつて鉦を叩くのを止めさせた。それから佛壇の燈明を消させた。消させた上に、蝋燭は折らせ、かはらけの油は庭の土に覆して了ふまで疳を鎮めなかつた。これで父の葬式には母を怒り泣きさせたさうである。母の葬式にも同じことで祖父母を困らせたさうである。

「私」という作中の人物がそのまま語り手としての地位を確保することによって実現された、語り手の圧倒的な実在感。

 


同じ一人称の小説言説であっても、語り手がこのような実在感を帯びるためには幾つかの条件が必要。

 

○志賀直哉『城の崎にて』(大6・5) 

或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴつたりとつけ、触覚はだらしなく顔へたれ下がつてゐた。他の蜂は一向に冷淡だつた。巣の出入りに忙しくその傍を這ひまはるが全く拘泥する様子はなかつた。忙しく立働いてゐる蜂は如何にも生きてゐる物といふ感じを与へた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転つてゐるのを見ると、それが又如何にも死んだものといふ感じを与へるのだ。それは三日程その儘になつてゐた。それは見てゐて、如何にも静かな感じを与へた。淋しかつた。他の蜂が皆巣へ入つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ残つた死骸を見る事は淋しかつた。然し、それは如何にも静かだつた。

「自分」は実際に物語行為を行なっている語り手としての《自分》そのものではない。あくまで「自分」は、「或朝」で始まる物語世界内の時空にいて、自分自身の目で「一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居る」様子をつぶさに観察し、それによってある心境に至っている物語内容としての存在であり、自己の行為のすべてを対象化して〈語り〉を行なう余地はない。

読者は、作中の「自分」とは自己同一的に繋がっていながらも、物語世界の時空とは異なった位相にいて出来事を対象化しつつ語っている別の《自分》=語り手の存在を想定。

 

*『城の崎にて』のような小説言説は、語り手が特定の作中人物の感覚や意識に同化して語り手の存在を消し去る(実際には消し去ったかのように感じるだけ)ことで物語世界内に唯一絶対的な視点を獲得し、そのパースペクティヴに基づいて〈語り〉を遂行することで、読者にあたかも自分自身がその物語世界を体験しているかのような感覚(=臨場感)を与えることに成功していた。


 

『油』における物語世界の時空は〈語る現在〉と一致していて、言説化された「私」と言説化している《私》のラグはほとんど読者には意識されず、「私」は実際に物語行為を行なっている語り手として読まれていく。

読者は、「半年程前」伯母から聞いた話によって至った心境を〈今〉目の前で打ち明けている「私」の存在を実感しながら、語り手である「私」と向かい合ってその個人的情報を受け入れる聞き手の立場に引き込まれる。

 

〈告白〉という形式は、〈告白〉される〈過去の体験〉や〈自己の内面〉などが、動かしがたい〈事実〉として、物語行為以前に存在しているかのような感覚を読者の意識の中に生み出す。言はば、〈告白〉の〈リアリティー〉とでもいうものが『油』という作品を支えている。

 

B『油』における〈事実〉

『油』の事実性は、〈語り〉の構造と、その〈読み〉の中で生成。しかし、このような〈告白〉の構造によって形作られる〈リアリティー〉は、何もこの作品によって新たに発生したパラダイムなどではない。これと同じ構造に支えられた小説は、『油』以前にも数多く見られるはず。すると『油』は、既成の〈リアリティー〉の形式に依存し、その安定した制度の中で生まれてきた何の変哲もない作品として片付けられてしまうことになるのだが、果たしてそれでよいのだろうか。

 

父母に就ては多くの人達からよく聞かせられる。が、自分に直接関聯してゐることの他は大抵直ぐ忘れる。忘れないのも覚えて置かうと思ふからで、話自身の方からその力で識らず識らずの間に心に生き残つてゐるのは一つもない。如何にもあつたらしいと言ふ気を起させない。他人の追懐と殆同じだ。のに、伯母の話はつつと雷のやうに、三四歳の私をぐつと引寄せ、暗闇の当時をぱつと明るくした。私のその頃の姿に外ならないものを初めて鮮かに見せた。伯母に聞くまで思ひもつかなかつた此を経験の記憶とは言ひ得まい。しかし其後思ふ度にも、人聞きなのを忘れ、自分で記憶してゐたかのやうに親しい。かはらけを持ち手を油で汚してゐる私の幼い泣面がありあり浮んで来る。油を零したのは確にあの座敷の縁先の手水鉢の横だつた、などと心が意気組んで来る。

伯母から聞かされた〈過去の出来事〉が現在の「私」の意識の中に「私のその頃の姿に外ならないもの」を「鮮かに見せ」て、それを自分自身の「記憶」であるかのように「私」が認識していることが語られる。

しかし、「私」は自分の意識の中に現れた「私のその頃の姿に外ならないもの」を決して自己の「記憶」とは言い切っていない。それはあくまで「伯母の話」の「力」によって形作られた一つのイメージでしかない。

……しかし考へると、父母の死んだのは淀河べりの家である。今思ひ画くのは淀川から数里北の山村の家の縁先である。(中略)場所も手水鉢の横に限らない。私がかはらけを持つてゐたより、母か祖父母の手にあるべきである。父の時と母の時との二度が一度として、或は同じ繰返しとしてしか思ひ浮べられない。

 

ところがこのイメージは、既に論理的事実性を失っているにもかかわらず、「私の感情は却つて怪しいなり曲つたなりを鮮明に真実として懐しんでゐる」という状況を生み出す。

それまで「単に其事柄として」ばらばらに存在していた幾つかの出来事――@「私」を礼拝させる時に燈心の灯を蝋燭に点け変える祖父の習慣、A今日まで続く「私」の油嫌い、B燈明に関する「私」の悪夢――に、「父母の死を悲しむ幼心」という共通の〈起源〉を与え、現在の「私」の内面に「父母の死で受けた痛」という克服すべき〈事実〉を生成。

 

*「私」の油嫌いの克服については、中村光夫氏が「その原因が、父母の葬式の記憶にあることに気付いて、それから脱出する」(『論考・川端康成』昭53・4)と述べ、佐伯彰一氏が「肉親の死と結びついた無意識の記憶から発していたと気づいてから、消え始める」(「川端康成・横光利一集解説」昭46・7)と論及しているように、過去の〈事実〉が明らかになったことで油嫌いの原因が判明したためと解釈。

 

Cレトリックとしての〈事実〉

 

……験に菜種油臭い物を食べてみようと思ひ立つた。そして不思議に食べられるやうになつた。種油を買つて来て指の先につけ、なめてみたりした。臭も敏感に鼻に来ても気にならなくなり出した。「この調子、この調子」と私は叫ぶ。この変化も色んな風に考へられる。父母の死と関係なく生来油が厭だつたのに、助かつたなと喜ぶ心が打勝つて、何でもなくなつたとも言へる。しかし、父母の死を悲しむ幼心がふと佛前の燈明に宿り、その油を覆したことから、油を憎み、その因果関係を忘れながらも油を嫌つてゐたのが、偶然再び結びついたためだと無理にも思ひたい。「油からだけは脱れましたよ」と痛傷の一つを実に明白に癒した例証として信じ、誇大して自分を甘やかしたい。

『油』で「私」が言説化した出来事(「父母の死で受けた痛」という〈事実〉)は、決して安定して存在する〈事実〉などではない。むしろそこに語り出されているのは、絶対的な〈事実〉の存在に対する「私」の不信なのであり、内面の〈空白〉を埋めるために〈神話としての事実〉を自らの意識の中に創造しようとする「私」の行為。〈油嫌い〉という状況一つにしても、それに対して「色んな」認識が可能なように、自らの出来事に確かな輪廓を与える唯一絶対的な〈事実〉など存在しない。「私」は、一方で〈事実〉不在の不安から来る自意識に堪えきれず、レトリカルに創り上げた〈イメージ〉の体系を「信じ」ることで、辛うじて自分自身を前向きに解釈しようとするが、また一方では、それが無意味な〈妄想〉でしかないことも充分に承知している。

読者は、〈告白〉された〈事実〉の非=事実性に気付かざるを得なくなる。所詮、〈自己の内面〉や〈体験〉は「……無理にも思ひたい」「……信じ、誇大して自分を甘やかしたい」という願望の先にある〈虚像〉でしかないのであり、「この調子、この調子」と叫ぶ「私」の前向きな意識も、レトリカルな響きしか持たなくなってくる。

 

『油』という作品は、〈告白〉という形式が生み出す〈リアリティー〉そのものを、その〈告白〉された内容自体が相対化してしまいかねない危うさの中に成り立っていると言える。そこでは〈事実〉は所詮レトリックに過ぎないのであり、〈告白〉される〈内面〉は何処にも存在しない。

 

*太田鈴子氏は「川端康成の新感覚―『油』『葬式の名人』『孤児の感情』に関して―」(「学苑」平7・1)の中で、「自分の〈感情〉に関する認識を告白することにおいて「孤児としての私の私小説」と言うことができる」と述べ、福田淳子氏も「川端康成『油』論」(『川端文学の視界11』平8・6)において、「〈私〉の切なる願いの告白により、嘘臭さではなく逆に心理面での切実なリアリティを感じさせられる」「虚構の〈悲しみ〉は、〈私〉にとっては〈感情〉の〈真実〉に他ならない」と論じている。物語内容(=〈告白〉された〈事実〉)の虚構性を認識しながらも、〈告白〉という物語行為そのものに〈感情〉の〈真実〉を見ている(メタ=物語内容的な解釈)のが両者の共通点。ある意味で、〈告白〉という形式の持つ〈リアリティー〉がいかに強固なものであるかを物語っている。しかし、一方の極にそのような円満な〈読み〉(=「私」の人格の統一は保たれ、作品世界も明らかな輪郭を持つ)があるとしても、もう一方の極には、〈事実〉の不在と不在の〈事実〉を同時に語るという行為に「私」の人格が崩壊し、そこに付随する〈リアリティー〉そのものも消滅するという状況があると言える。

 

4 『一節』について

@発表及び評価

『一節』は、第六次「新思潮」第二巻第一号(通巻第五号、大11・3)に発表された。掲載時の文末に「(「一」終り――「転生」の一節)」との記載があることからもわかる通り、本来は『転生』という作品の一部分として発表されたと思われるのだが、その後これに続く部分が作品化されることはなく、いわゆる未完のまま放置された作品。川端自身が後に「『一節』は恐らく理窟張つた難解の文章である」と述べた以外に評価らしい評価はない。

 

A〈語り〉の構造

〈語り〉の状況からこの作品を眺めてみた時、川端が「難解」と評した小説言説を通して、〈リアリティー〉をめぐる巧みな構造が形作られようとしていたことがわかる。

 

房代と共に住む月日の間に、室木の生活感情なり生活気分は、染め変へられてゐた。あらゆる物が新しい姿と心で写つた。父もその一つだつた。父と彼との直線な心の繋りの途中に、それを廻り曲らずには、或は透し越さずには、彼が父を見られないもの、そのものに房代がなつてゐた。父に秘密な日々を営んでゐることの自己苛責とか、房代のことを打明けた時の父の態度を案じる不安とかが、父を思ふ度に附き纏ふといふのでなく、房代と房代に面した彼の心身を一つの住居として、その中に閉ぢ籠つたままで、父をも眺めてゐたのだつた。父病気の手紙は、住居そのものを思ひ当らせると同時に、住居から室木を突然投げ出した。その時子の上に落ちかかつて来た父の感じは、房代と暮す前の同じものが戻つて来たに過ぎないのだが、今は微かながら不意の邂逅を語るものであり、面と向ふには微かながら妙な虚しさが加つたものであつた。此等は室木の神経に冷いものを走らせた。それから、四五日前、雇婆のお波が、息子の嫁の風邪で、孫の世話に帰つて行つたのも、神経に暗く来た。

語り手は作中人物である室木の視点に寄り添って、物語世界内の特定の視点から、「房代と共に住む月日の間」に変化した「生活感情」や「生活気分」の一つとしての室木の意識の中での父の存在、そして「父病気の手紙」によって戻ってきた「父の感じ」や同時に生じた「妙な虚しさ」、神経に走る「冷いもの」など室木の〈内面〉を〈語り〉始める。読者は、語り手と同じ位相で、室木を一定の視点とするパースペクティヴのもとに構築される彼の〈内面〉を〈事実〉として受け入れていく。

安定した〈語り〉の状態は、次の言説において覆される。

 

「室木のお父さんは、室木が心配してゐた程、本当に悪いんでせうか。」/自動車が駅前の広場から電車通りに出た時、伊原が云つた。/「ええ、悪いやうでしたら、電報を打つんですつて。」と、房代は外れた返辞をしてしまつた。/「あなたにですか。」/「ええ。」/「そしたら、あなたも須磨へ行かなければならないんでせう。」/「だつて、私……。」/かう云つて、房代は、彼女が若し室木の父に会へば感じるであらう恥しさを、心に浮べてみてゐる表情を正直に現した顔を、鳥渡伊原に向けてから、うなだれた。その科で房代が、伊原には子供つぽく見えた。伊原は、この少女の心と体の二つが、どれくらゐ大人で、どれくらゐ子供なのかが、はつきり受取れないのだつた。友人の室木と一つ家に起臥して愛人とも若い妻とも見える房代の位置が、眩しい背景になつて、此美しい少女の女性としての成長の明な図が、伊原には得られないのだつた。

室木を視点とするパースペクティヴのもとに物語世界を構築し始めた読者は、いきなり視点人物である室木の不在に遭遇。読者は少なからぬ戸惑いの中、〈読む〉行為続行のためにさまざまなコードを探りつつ、新たに発生した〈語り〉の在り方を模索する必要。しかし、そこで読者が出会うのは、安定することを避けるかのように揺れ動く〈語り〉の位相。


「……伊原が云つた」「……房代は外れた返辞をしてしまつた」という言説において、語り手はどのような位相に想定され得るのか。一見房代の視点に寄り添って、彼女を認識の主体として〈語り〉が行なわれているようにも感じられるが、その後の「かう云つて、房代は、……うなだれた」という言説では、語り手は房代の視点からでは認識不可能な彼女の外面的な「表情」や「顔」を語ってもいる。すると、先程の房代の伊原に対する「返辞」を「外れた」と認識しているのも房代自身ではなくあくまで独自の位相にいる語り手なのではないかと思われてくる。読者がこの言説を通して、そこに何らかの事実性を感じ取るためには、冒頭で設定した〈リアリティー〉の形式を放棄して、別の〈リアリティー〉の形式へ移行することが必要となる。

しかし、そこで〈語り〉の位相が落ち着くわけではない。「その科で房代が、伊原には子供つぽく見えた」以降の言説では、語り手は今度はやはり作中人物の一人である伊原の意識に寄り添って、彼の視点から物語世界を構築し始める。そしてそこでは、房代は伊原の意識を介して「心と体の二つが、どれくらゐ大人で、どれくらゐ子供なのかが、はつきり受取れない」存在として、その事実性を獲得していく。


 

『一節』では、房代の視点と伊原の視点、そしてそのいずれでもない語り手独自の位相に基づく〈語り〉が短いスパンで入れ替わりつつ、言葉を紡ぎ出して行く。読者の意識の中に一つの絶対的な物語世界が構築されることを阻止するかのようでもある。

 

房代は、室木の父の容姿を思ひ画いてみようとしたが、室木から聯想しても、何も浮んで来なかつた代りに、室木一家が神戸に移る前の旧居の家屋敷と、それの所在する北摂津の田舎村と、彼女の母の生地である、その隣村一円の風物が心に拡がつた。そして、どうも親父は死にさうな気がする、と室木が云ふ神経的な不安が、何処から湧いたかも、房代は考へなかつた。/(中略)伊原の左側に出来た空席は、房代には広過ぎた。左端に席を占めるのも、伊原に寄り添つて坐るのも憚られて、房代は、身が腰掛けに落着かない気がした。襟巻に持ち添へた左手で口を掩ふやうに軽く首を縮めて、右手は膝に垂れた襟巻の端の毛糸の房を緩く掌にしてゐた。その膝に落された手を、手袋がつつんで、肘まで延びてゐるらしいのが、伊原の眼に、妙なもどかしさをもたらした。「指ごとに指さきまでも、わがくちづけし小さき手よ、静やかに手頸のほとり、わが唇の腕飾おきし手よ。」この詩の一節の偶然な反誦から、温い手袋を脱いだ房代の手と、室木に示すであらうその手の表情が、伊原に、さまざまに浮んでは消えた。

室木が父の病気の手紙を受けて神戸へ発った後、室木の友人である伊原とともに自動車に乗り込んだ房代の意識は、「室木の父の容姿」を思い描く努力から「室木一家が神戸に移る前の旧居の家屋敷と、それの所在する北摂津の田舎村と、彼女の母の生地である、その隣村一円の風物」へと流れていく。読者は彼女の意識の中に入り込み、前場面で言説化された「室木の父に会へば感じるであらう恥しさ」から引き続く室木の父へのこだわりと、室木と彼女との関係を暗示する田舎の風物への記憶によって彼女の〈内面〉を形作る。ところが、その彼女の〈内面〉は、「どうも親父は死にさうな気がする、と室木が云ふ神経的な不安が、何処から湧いたかも、房代は考へなかつた」という語り手の介入によって評価され、相対化されてしまう。一方で「房代は、身が腰掛けに落着かない気がした」というように、房代の視点を通して言説化された車内の状況は、語り手の視点(厳密に言えば、房代の視点と伊原の視点がそこには重なって現れている)による房代の外観の描写を介在して、今度は伊原の視点から彼の意識に妄想を生み出すものとして言説化される。

私たち読者の中に形作られる世界は既に唯一の実体を失い、それぞれの主観の狭間で不定形に〈現象〉するものでしかなくなっている。

 


複数の視点(独自の位相に立つ語り手の視点を含む)を通して物語世界が紡ぎ出される〈語り〉の構造を持つ作品は、文学の歴史の中では決して目新しいものではない。

 

○田山花袋『生』(明41・4〜7)

老母の死を中心としてその肉親たちの様子を描いた作品。語り手は独自の位相を確保しつつも、次男で小説家である銑之助の意識をはじめ、複数の作中人物の意識に自由に踏み込みながら〈語り〉を進めていく。

 

『生』の場合、言説全体を統括しようとする語り手独自の立場が強く、また、それぞれの作中人物の視点を通して語り出された〈事実〉も、互いを相対化しつつ絶対性を消失して行くというより、最終的にはむしろ〈事実〉の共通性を通して肉親たちの〈繋がり〉を加工する方向へと収束。

一週間目に其写真が郵便で届いた。割合によく写つて居た。立つた光子のが一番立派で、眉の長い細面の丸髷姿がすつきりとして居た。男の子をお佳が抱いて、お梅は自分の児を膝にして、二人並んで腰を懸けた。女の児の笑顔がいかにも可愛らしかつた。(中略)序に写真を蔵つて置く小箱が其処に展げられる。明治の初年に大阪で撮つたといふ大小を差した父親の写真はもう黄いろく薄くなつて居た。それに兄弟が三人揃つて撮した少年時代の写真、誰れだか解らぬ丸髷の女と一所に撮つた中年の頃の母親の写真、死んだ叔母の写真、嫂の写真、総領の姉の写真は其頃流行つた種板其ままの硝子製で、木の框の壊れて取れたのを丁寧に母が白紙に包んで蔵つて置いた。其の他に昨年英男と一緒に写した母親の写真が一枚あつた。兄弟は皆なそれを手に取つて見た。

「……よく写つて居た」「……一番立派で……すつきりとして居た」「……可愛らしかつた」などといった主観は、作中のいずれの人物の視点に基づくものでもない。そこに居合わせて共に写真を眺めているかのように振る舞い物語世界の内部に具現化した位置を獲得した語り手の独自の視点。

読者は仮構された視点によって語り出される〈事実〉を、いかにもそれがここに居合わせた人々すべての共通する体験(意識)であるかのように錯覚して受け入れる。

 

『生』特徴は、作中人物の主観に基づく複数の視点が設定されながらもそれが充分に機能することなく、結局は具現化された語り手が介入することによって〈家族全体の共通意識〉という一種の〈幻想〉が生み出され、それが〈リアリティー〉を獲得することで絶対的〈事実〉となってしまう点にある。


第六次「新思潮」に形作られた言説空間としての『一節』を考えてみた場合、そこに作用しているのは、これまでの一般的な小説言説が目指していたと思われる安定した〈リアリティー〉を生成しようとする方向とは全く逆の、むしろそのような〈リアリティー〉に基づく均一な〈事実空間〉を打ち崩して、言わば実体化不可能なものとしての相対的な〈リアリティー〉の世界を、読者の中に生み出そうとする力。

 

……母の水死がさうであつたか、顔も覚えてゐないと云つても殆嘘でない房代が、十年前電気局の建物があつたかも思ひ出せず、知る筈はないが、さうした影のやうに死んだその姿が、房代を影のやうに訪れて来る。

幼い時に水死した母にまつわる「影」というおぼろげな輪廓を与えられた房代の〈内面〉は、しかし、決してその輪廓をより完全なものとされる方向へは進まない。

 

……母、母と云ふ発語を、実に不意に投げ込まれて、心の真底に、痛い響がした。そして、かうした時、房代は忙しく視点を意識的に滑動させるのでなく、眼を外したいものが視線の逃げる先逃げる先に執念く立ち現れるのを更に避け避け瞳を移すのでなく、唯瞳孔が浮動し、黒瞳の位置が変り視線の方向が変る度毎に、一度づつ異つた色を持つやうに見れば見える、それを室木は、その時には、房代それ自らの心は色を失ひ、幾人もの男と女の心が房代の瞳の底に犇めき、それが瞬間瞬間毎の表情で、房代の眼の面に去来出没し、房代の眸は、唯その奥にゐる男女の嘆きを見透す窓であると、正視し合ふに堪へず、房代の体が音を立てて壊れるほど、抱き寄せて、一念に、房代の心一つの表情に統一しようと祈願するのであつた。

房代は、室木という別の主体によって「幾人もの男と女の心」の「犇めき」としてレトリカルに語り出され「統一」されなければ存在し得ないものになっている。房代という存在は、他者の認識とそのレトリックの中に辛うじて〈現象〉するものでしかない。このような状況の中で、〈リアリティー〉は実在に裏付けられた絶対ではなくなり、それ自体がレトリックに過ぎない主体間の認識によって相対的に生み出されるものでしかなくなっている。

 

発表のまとめ

第六次「新思潮」の川端作品―『ある婚約』『招魂祭一景』『油』『一節』―をめぐって生じていた文学的状況は、一言で言えば、明治期以降の近代文学という領域において生成され、絶対視されてきた小説の〈リアリティー〉というものが、再び問い直され、相対化されていく状況であったと言える。この〈リアリティー〉という地平は、「新感覚派」(あるいは「自然主義」や「私小説」)という既成の枠組みを一変させる可能性を持つものと考える。

 

  (2000.6.18/於:昭和女子大学)

 

back